法善寺センチメンタルジャーニー

d0090637_23351045.jpg母の誕生日祝いにランチを食べにいきました。
法善寺横町で、雑誌とかで紹介されているようなお店がいいな」と母のリクエスト。

結局母のお目当ては見つからず(夜の開店かな)
「ここなら失敗なし」という割烹「喜川」へ。
    おいしゅうございました。
一番安いコースだったけど、もうお腹ぱんぱん。
子供が生まれて初めて板さんのいるお店にいきました。

母の実家は戎橋で商売しています。
祖母と叔父夫婦の家は店の奥。
あの喧噪のなか、店の奥の家の中はしずかでした。
坪庭、炉のある和室、トイレは離れ・・・浪速の町屋だったのかな?
何年か前に、ビルになってしまいましたけど。

だから私の帰省?というと、難波でした。30分もかかりません。
ミナミが「ふるさと」????
ほとんど毎週祖母宅に行ってましたから、
今考えたら、毎週ミナミで遊んでいた子どもって・・・
よーくかんがえたら、そんな幼少の体験ってあんまりないよね〜

母は、「こいさん」と呼ばれていました。
昔の浪速では末娘をこう呼びます。ちいさい女の子という意味です。
祖母が「こいさん」の母を可愛がっていて、
父が結婚後寂しくないようにと、これまた我が家の商売の休みの日
孫の私達と母に会わせるために毎週戎橋に行っていたそうです。

私達も大きくなり、祖母が亡くなり、母の実家にはあまり行かなくなりました。
母も私も久しぶりの法善寺。
母は、「最近腰が痛いの。でもこれなら楽なの」と毎日着物です。
着物と法善寺、すごくマッチしてる。

「あら〜昭和30年代はこんなには苔あれへんかったけど」
水掛不動尊さんをみてつぶやいてました。

帰り「アラビア珈琲店」で、お店の人(マスター?)に挨拶された母。
母「じゃ、寄らなくっちゃね」と(私急いでいたんですけど)強引に入店。

ああ・・・昔と一緒の店内。置物も半分くらい記憶ある。
いっきょに昭和40年代にワープ(歳がばれる)

「私、いつもここではミックスジュース頼んでた記憶がある」
というと、「え〜?あれは○○(フルーツパーラー)。ここにはないよ」と母。
確かに壁のメニュー表にはコーヒーとか紅茶とか大人の飲み物しかない。
「でも、あっちの席で、○○←弟といつも飲んでたもん」と言うと
お店の人が「はい、昔から、ミックスジュースありましたよ。大阪ののみもんですやん」と。
やっぱり〜子どもの食べ物の記憶はかなり正しいのだ。


法善寺にいって、色んな思い出が甦った。
ミナミも東京化が進んで、ちょっと悲しい。
法善寺もしかり。できるだけ昔の佇まいを残して置いてほしいもんだ。

ホメオパシーの勉強会に行くので、母を残し店をでた。
カフェじゃなく、喫茶店・・・いいかも。
珈琲、おいしかったなあ・・・・


ままりん・・・またごはんいこうね。
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by miroku-ai | 2007-02-06 23:39 | プラスα


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