前略ごめんくださいませ。初めてお手紙差し上げます。
さて今朝、一面コラムをみて絶句いたしました。2月の23日に旅立たれたと。 腎臓癌だったと知りました。以前「自分にも癌がみつかった」と、 なんだか楽しげに書かれていましたが、46才とは。まだお若いです。 「は?なにそれ」ってシニカルに笑われるでしょう。 そうでした。若いも老けるもないのでした。 「私は年齢である」そう「年齢にふさわしい精神」をもっていたならば。 物事を突き詰めて考えること。 知っていることと、わかることの違い。 自分が「知らないこと」を自分で知っておくこと。 わかる力は愛である。真の力は知である。 あたりまえのこととは、私であること、生きて死ぬこと。 そして、存在とは、善と悪とは・・・ 貴女は考えたことを分かり易い言葉で表現されていましたね。 いつも数え切れない思索のあざやかさに感嘆していました。 歯に衣をきせず ずばっと断ち斬るような文章(カゲキ!)で爽快でした。 最近は、思春期の子どもにむけた文章も出されていて、 実は、「14歳からの哲学」は私がはじめて購入した貴女の本です。 そして、長女の14才の誕生日に贈りました。 この春次女の14才の誕生日がやってきますが、よいタイミングで 「14歳の君へ」が刊行され、次女のプレゼントに、と購入したばかりでした。 実は、あたりまえのことがわかっていない私には、 これらの本がちょうどよかったのです。残念ながらすべてはわかっていません。 貴女はしょっちゅう、ご自身のことを「いのち根性がない」と表現されていましたし、 なんで葬式でみんなが泣いているのかわからない。笑いをこらえるのに精一杯。 「無」なんてものは「無い」のに「無」であるところの死を恐れるとは? この世に生きている人はみんな死んだことが誰ひとりとしていないのだから 「わからない」ことは恐れることができない、と。どうして死んだ本人が悲しめようか、と。 「肉体の死」を経験された貴女は今も、きっとゲラゲラ笑いながら、 「生きようが死のうが、存在することしかやっぱりできない」とか仰っているでしょう。 最後に泣き言を。 いつか、「週間新潮」を毎週買って、ビール片手に至福の時を過ごす老後をひそかに 楽しみにしておりましたのに、至極残念。 今から池田文庫でもつくろうかしらん。 今、ここに存在する「私」のフシギをこれからも考え続けてまいります。 遅ればせながら、貴女を私淑して精進してまいります。 あ、だいじょうぶです、信者にはならないように気をつけます。 自分の頭で考える、それが哲学でしたね。 形而上の貴女に愛と感謝をこめて。 かしこ 平成17年3月6日 ねいろ
by miroku-ai
| 2007-03-06 12:08
| プラスαな本
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