カテゴリ:シュタイナー( 12 )

魂の保護を求めるこどもたち

治療教育の講座にいってきました。その報告の前にすこし。

人智学活動の根幹を支えるところに治療教育があります。
もともとシュタイナー教育というものがあったわけではなく
シュタイナーが若い頃家庭教師をしていた子どもが水頭症の子どもであり
その子どもに最高の教育を考えて実践した、というところが出発だった。

初めてのヴァルドルフ学校も労働者の子弟の為につくられたらしい。
シュタイナー教育は、いわゆる社会の弱者の子ども達がはじまりだったこと
が、注目すべき点です。シュタイナーは全ての人は発展途上で、治療教育が
必要なんだ、といっています(と記憶しています、あいまいでごめんなさい)

    ***     ***     ***

で・・・今日の講座にはいろいろ考えさせられました。
今シュタイナー教育は世界でかなり認知されつつありますが
戦後ドイツで人智学的治療教育を行っていた方がこの基盤を築かれた
ということを聴き、驚くと共に、深く納得したのでした。

シュタイナー教育とは、治療教育とは、といったことではなくそれを行った人間の在り方が、
普通の世の中の人のその根底に流れている「人智学」ってもしかして(?)すごくいいかも
しんない、って思わせた、というか人をうならせたのです。
「人を通してその背景にある本質を認識する」・・・芸術活動といわれるところです。

ハンディーのある子ども達は、誰かに支えて助けてもらわないと生きていけない。
シュタイナーは「精神は病まない」と言います。
これは、「身体(身体)/魂(心)/霊(精神または自我)」の三分説でいう、
霊(精神または自我)はどの人も病気になったり傷つけたりできない、
ただ、現世で生きている限りで言うと、霊を映し出す鏡が魂であるので
魂(つまり心)の領域がなんらかの形で欠損があると
魂が霊をうまく映し出せないということなんです
。(詳しくは神智学等参照)

いわゆる健常者は、自由に自分の魂を表現できる。
何でも言える、何処かに行きたければ行くことが出来る。
しかし、ハンディーのある人は「自由がなんらかの形で抑えつけられている」
だから、誰かが彼らを支え、不自由な彼らのかわりにすること、考えること、それら全てが
「死後神々が行うことを我々がかわりにおこなう」ということとなり、
治療教育に関わることは「神々の仕事に関わること」だそうです。

そうして、「胃痛の時胃について意識する」のとおなじように
「自由の少ない子ども達」と生き、関わることは「意識化」することだそうです。
もちろん「人間」のことです。「霊の目的」つまりは生きる目的です。

こうしてみてみると、治療とは、特別に養護が必要な人ではなく
私達もみんな「支え」と「不自由さの解放」が必要である。そして
そのような人を通して、その人に関わる人はそれを意識し、意識することを
し続けることで、その奧に在る「本質」に気づくことができるってことがわかると思います。

シュタイナーは子どものことを「平等魂」とよんでいたそうです(ほ〜)
私達が成長するにつれて不満、不服がでてきます。
しかし生涯にわたって「平等魂」をもっているのがハンディーを持った子どもだそうです。

    ***     ***     ***

もっといろいろ書きたいのですが、最も私を揺さぶったところを書きました。
拙い文章でうまく伝わっているかしら?(私なりの言葉にしたり、解説をいれましたが)

ちょうど、今週、ハンディを持った子どもさんの親御さんと話す機会があり
厚かましくも、以上のようなメッセージを私自身で感じており、それをお伝えする
機会が今週は二回もありました。なんだか偶然の必然性というのでしょうか。

彼らの家族も本人も大変だなあ、と思うことは、とても方手落ちな見方と思うのです。
「魂の保護を必要とする子ども」を通して、私達はいろんな経験をさせて頂いています。
そして、より深く、人間とはなにか、魂とはなにか、を考えさせられるのです。
いわゆる健常児と関わるよりも、「魂の保護を必要とする子ども」達と
関わっているときのほうが、より強く
「あなた達の魂はなにを表現しているの?生まれてきた目的はなんなの?」
と問いかけている自分に気がつきます。
そして、その事自体が、アントロポゾフィーであると、気づかされるのです。

シュタイナーの洞察の深さにはいつも感嘆するのです。

    ***     ***     ***

関西で、治療教育を実践しようとしている団体がいます。
「ともに生きる Being Together」
活動ははじまったばかりで、まだまだ小さなうねりです。
大きなうねりとなっていきますように。
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今回の講師は、
『宝石と四季のお祭り シュタイナー鉱物論入門』
の著者なんです。石好きなんですって。
(シュタイナーも)
来月から二年間ドイツに行かれるそうです。
キリスト者共同体の司祭をされていますが、
共同体からドイツに赴任指令(笑)
がでたみたいですね〜「転勤」みたいなもんでしょうか(^^;)
どうかお元気で、また日本に帰ってこられたら
パワフルなお話をまたお聞きしたいものです。


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今回参考にされていた書籍はルドルフ シュタイナー 著:高橋 巌 翻訳「治療教育講義」
です。さっそく読んでみようと思ってます。



人智学の観点からの治療教育のおすすめは
トーマス・J・ヴァイス 著:高橋明男 訳
「魂の保護を求める子どもたち」
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by miroku-ai | 2007-10-20 23:50 | シュタイナー

泥だんごの効用

長男が誕生日を迎えました。

彼の学校では生徒の誕生日にはクラスで祝いします。
先生がその子の誕生にまつわる話をみんなの前で語ってくれたり
高学年になると家族からの手紙を披露してもらったり自分でスピーチしたり。
その学年の学習テーマとなるプレゼントをいただきます。
(学習テーマの一つに植物学があり、今年は植物。息子はサボテンをもらってきました)

続きはクリックしてね
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by miroku-ai | 2007-06-28 23:55 | シュタイナー

『僕らの前に道はない 僕らの後ろに道は出来る』

この日曜日に、我が家の子ども二人が通う学校の
第一回目の高等部の卒業式が行われました。

子ども達の学校は1年生から12年生までの子ども達が一つの校舎で学びます。
一般の日本の教育でいうと、小学校1年生から高校3年生までの子ども達にあたります。

第一期生の彼らは、ひと言ーすんばらしいー。

開校当時、中学生だった彼らは、「山の物とも海の物ともわからん」ようなフリースクール
(認可されず、学校法人じゃない)に公立学校から転校して(半分させられて?)通い、
校舎も狭く、当時は今ある教室を二学年で半分に仕切って使っていました。
鞄をおくロッカーもなく、机も廃品同様のものだったり、物質面でも超プアー(笑)
(でも、全て手作り&自然素材だったりして、超贅沢〜とも言えるのだけど・・・)

そんな過酷な状態で、なにをやるにも、学校初、日本初のことばかり。
思春期まっただ中のビミョウな年齢の彼らにとまどい、葛藤がなかった筈はありません。
最終的に最高学年を終えた彼らをみると、あたしゃ、涙がでます。

卒業式のある週の半ばには、卒業プロジェクトといって、
各自が、自分の興味のあるなにかをホールでプレゼンします。
(それで卒業できるか審議されるの。審査員もいるんだぞ)
例えば、彫塑、詩、演劇、家具作り、語学、マンガ、など。
ユニークどころではオリジナルカードゲームや、平安時代の生活を体験したものの発表とか。
もう、本当は全部書きたいくらい、ユニークで、濃厚な時間を共有させていただきました。

そのプレゼンのなかで、なぜテーマを選んだのかなどの説明はもちろんありますが
その発表に至るまでの過程を各々語るのですが、もう、それが壮絶(大げさでなくってさあ)
1年半かけて(今回初めて知った)、自分とまっこうから向きあって、
何度も挫折や、しらけ〜ムード、焦りと闘いその発表の瞬をむかえる・・・

私が18才のころには考えつかなかったものを、彼らはしっかりと考えていた。
(っつうか・・・・おばさんになって目覚めたのだった、私。ほんの最近のことじゃ)
彼らが、自分と向き合い、自分と対話し、色んな「師」にささえられて、見つけたもの。
人生でくじけそうになっても、その「瞬」を知っているから、再び歩き続けられる。
一人ひとりの言葉を聞いていて、自分達より、大人だなと。魂が大きいちゅうか。

卒業式自体は私は出席していませんが、来賓であの「こ○す」さんや「は○」さんがいらした
そうで、彼らの一人ひとりのスピーチを聞いて絶賛されたと、ききました。

どの学年にもカラーがあって、この卒業生の得意とするのは「パフォーマンス」
特に演劇、音楽、(あと、お笑い!)が得意で、卒業式の後、見送る子どもや親や先生
の前で音楽演奏と一人ひとりのスピーチをきかせてもらいましたが、感動した!!!(笑)

一昔前、文部省かなんかのキャッチフレーズ?で「生きる力」を育てよう、ってあったけど
なんだかこれにはピンとこなかったけど、彼らは「生きる力」に満たされている。
学歴、偏差値、他人や世間の評価ではない、ところの「自信」が育ったなあ、と。
もう君たちは外に「自分探し」しにいかなくても、ちゃんと自分を感じているね。
18才のころの自分と比べて、ちょっぴり、うらやましくなった。

最後に、校庭で、送る人達のトンネルをくぐって拍手のなか去っていった。
彼ら、どの人にも目をみて挨拶するんだ。話をしながら、何度も涙ぐんじゃった。
なごりを惜しむ人達が再度ならぶので(!)列はどんどんのびる一方(おいおい)

そんな増殖する?列をみて、ふと思い出したフレーズ。
昨年夏に全国何カ所かまわった「卒業演劇」公演。自作のチラシに書かれていた、
「僕らの前に道はない 僕らの後ろに道は出来る」
ほんま、君ら、パイオニアだよ。 おめでとう。誇りにおもいます。
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by miroku-ai | 2007-03-27 23:23 | シュタイナー

公立学校

続きです。

なんで前回教育云々を長々と書いたかというと、
最近の教育現場も少しずつ変わって来ていると感じたからです。

フリースクールの学校が開校しそちらへ入学させようとしたとき
上の二人の子どもはは公立小学校に通っていました。
「来年度から無認可の学校にいかせます。無認可なので
この小学校に在籍させてほしいです。」
と校長先生に言いにいきましたら、驚かれたのは無理もありません。

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by miroku-ai | 2007-02-18 02:19 | シュタイナー

シュタイナー教育と公教育

日本にあるシュタイナー学校は最近になって学校法人になった学校もで出来つつありますが
日本のシュタイナー学校の何校かは、非営利団体立の学校です。
フリースクールの扱いですので、もちろん認可がおりていません。

シュタイナー学校の児童は毎日嬉しそうに登校していても
国から認められていないので実は「不登校」の扱いなんです。
シュタイナー学校の児童は義務教育の期間は書類上?はそれぞれ地元の
公立小学校、中学校に「在籍」という形をとります。

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by miroku-ai | 2007-02-18 01:36 | シュタイナー

できちゃった婚

前の続きです。

昨日今日つらつら考えたのですが
最近「できちゃった婚」って多いですよね。

これって、「ねいろ流カルマ論」(爆)でいくと
(↑よい子はちゃんとシュタイナーさんの「カルマ論集成1〜5」読んでね)

あるカップル
女「子どもって欲しいけど〜子育てってお金もかかるよね」
男「そうだね(子どもって苦手だな・・・ぶつぶつ)」
女「でも〜赤ちゃんってかわいいね」
男「そうかな〜」
女「ま、仕事も軌道にのってるし、まだまだ結婚もしたくないわ」

数ヶ月
女「気をつけていたのに、妊娠したみたい」
男「え、まじで!(自分もめちゃ気をつけたぞ〜!)」
女「このさい、結婚しとく?」

とかっていうこと結構あるとおもいます。
本人たち(カップル)に子を産み育てる意志が希薄?

天上界では、「あの日本に生まれるじょ!」と、強く願っている魂がいるそうです。
でも地上では「受け皿」がなくて(少子化問題)→魂:「さあ、困った」
生まれてくる子ども達は父母になる家系を選んでいるらしく
(是非シュタイナーの本を読んでくださいませ。
「 子どもが生まれる順番の神秘」とかかな?ああ〜どこかに書いてあったはず)

「じゃ、カップルくっつけちゃえ〜」とかやっちゃうらしい。きゃは。
ま、エンジェルとかキューピットとかにも応援頼むのかな?
(この二行はシュタイナーは言ってません)

なんか「魔が差して」ってあるじゃない。
(子ども=魔という意味ではないのですよ。ポジティブにとらえてください)
できちゃった婚、だけじゃなくてさ、あとから考えて
「なんであの時 こんな行動したのか」ってことってありますよね。
ああいうのは、「天使」や「大天使」が天上で働きかけていることって
多いそうですぞ。(人生の転機とかってコト)

また子どもの話に戻りますけど最近赤ちゃんを見かけると、
「ウェルカム よ〜こそ 日本へー♪」とか
心の中で歌っちゃっている私がいます。うふふ。
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by miroku-ai | 2007-01-25 17:49 | シュタイナー

少子化問題

関西での人智学をひっぱっているM氏の話です。
「日本の出生率って減少しているんですよね。
それって、それだけ今のこの日本に生まれてきたくない
っていう魂が多いってことだと思いますよ・・・」

私はとてもショックをうけたんです。
「日本に、生まれてきたくないんだ。」

ほんとうに、現在の日本は、生き辛いだろうなと思います。
ひどい出来事が毎日起こっています。
今子育てしている人ならおわかりと思いますが
安全面だけ考えても、自分たちの育った時代からみると
本当に心配の種はつきません。

それでも第三世界の方からみたら、「豊かで夢のような国」なんですよね。
・・・最近は外国人が巻き込まれている事件もたくさん起こってきました。

物質面での豊かさイコール心の豊かさとは限りません。
環境が便利になればなるほど、なんだか「むなしさ」がつのります。

少子化の背景に、「子どもは欲しいが、子育てしにくい環境なんだよ」
という社会メッセージがよみとれます。

先ほどのM氏は「〈子ども時代〉のためのアライアンス」にかかわっておられる方ですが
思春期、学童期の子どもとよく接する機会のある方です。
「こんなに生きにくい世の中に生まれてくる子どもは、
かなり強い魂が多いと実感しています」と続けられました。

そうなんだよね〜同感。
今は、インディゴチルドレンの時代を経てクリスタルチルドレンの時代らしい。
荒っぽくいうと、自閉症やアスペルガー症候群といわれている子ども達に
このタイプが多いといわれています。
クリスタル(水晶)=浄化だし。

一見ちと変わっている子ども、実際増えているように思うわ。
不登校児のなかにもその素質のある子どもがいるよ。
(もちろん、そのような子ども以外のお子たちにもいるとおもいますケド)

うちの親戚にも軽い障害をもった子どもがいますけど
まわりの大人は哀しみのなか、内面を見つめることを求められていると思います。

今起こっている、「いじめ」「自殺」「虐待」「近親殺人」とかは、
みんな大人へのメッセージと思います。
今から時代を創っていく子どもの使命というか目的を読み取りなさい、
「内面にむかいあわないといけない」メッセージとしか 私には思えない。

「物から心の時代」といわれて久しいですけど。
豊かな生活の中の、ムツカシイ問題は、そのようなメッセージだよね・・・・。

がんばれ〜Newミレニアムッ子  ( ^o^)ノ"☆ノ^-^)ノ(と、その保護者)
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by miroku-ai | 2007-01-24 17:18 | シュタイナー

通過儀礼といじめ

「物語と子育て」の続きです。
スクールカウンセラーのお話から。

  少年漫画は男子の成長をあらわしているように思います。
  「父親」を乗り越えていく、というのがテーマです。
  母親は死んでいる、という設定が多いです。
  厳しい師匠だったりして登場する「父親」が描かれます。
  そして、友人はみんな必殺技を持っていて、主人公と対峙したり助けたりします。
  「父親」というのは思春期になって始めて意識する「社会」だったりします。
  小学生はまだ社会は意識できない存在で、家族や母親との一体感で生きています。

うーん、なるほどね。
感心しながら、もうすこし、いじめについても聞いてみました。

  いじめもいろいろパターンがありますけど。
  通過儀礼のようなものかもしれません。
  実際パプアニューギニアで「無視をする」という通過儀礼を持っている民族
  がいます。だからといって、いじめは通過儀礼なんだから、と肯定されるものではなく、
  反復的、回帰的であってはいけないです。

そうなんか〜通過儀礼ね。
いやいや、私もいじめが通過儀礼であってはいけないとおもいます。

日本は(どの民族でも)昔、通過儀礼がありました。
男子の元服とか。成長の節目でする儀式ですね。
元服や、帯解きの儀式って、江戸時代に行われていましたが
かなりもう、文化的に洗練されている気がします。
今は、着飾るだけ?がメインの七五三や成人式・・・となってます。

通過儀礼って、子どもが大人になるための儀式ですが、
民族によって年令もやり方も違いますけど。
通過儀礼を経た子どもは、もう子どもに戻れない、
かつ、その社会の一員となって迎え入れられて、
構成員となり地位、権利、を獲得するのです。

パプアニューギニアの無視の通過儀礼をネットで調べても
見つけることができなかったのですけど、
あるアフリカの民族達と共に住んだ経験を書かれた
儀式(割礼)の論文を見つけました。美しい写真も見ることができます。
村が一体となって、一人の男の子を大人にする。

世界にはちょっと理解のできない通過儀礼はあります
正直、女子割礼は恐怖です・・・私。
肉体を傷つける儀礼はたくさん存在します。
命がけの儀式もたくさん・・・
でも、先進国の私達の意見でこれらを良いとか悪いとかはいえないですね。
「死と再生」でしょうか。

だけど、日本にしても、世界中の民族にしても、身体的、精神的な痛みが、
子どもから大人への変容するために必要とわかっているからこそ
世界中あちこちに、行われているのでしょう。

で、日本に話はもどって。
上で書きましたが日本は、形式だけの通過儀礼になってしまっています。
だけど、急に子ども達のあり方はかわらない。今も昔も不安定な十代は存在します。
思春期はエゴの生まれる時代です。自分のなかの暴力性や悪が暴れ回ります。
で、命がけ(えらくおおげさですけど)で大人が対峙してやらないと
暴れまくって、どうしようもないんじゃないかな。

今は受験が通過儀礼ともいわれてますけど。
それはそれでいいんですけど。
そこから、日本の若者達は解放される。また子ども時代にもどっちゃってもいいのだ。
だから意味のない通過儀礼のように思います。

私も含め今の時代の大人は、「なんとなく大人になった」人が多いような。
んで、そんな大人が子育てに参加しているものだから、
子どももどうしたらいいか、むかっていく相手がいるかわからない、っていうような
悪循環になっているのかな・・・。

いじめ、自殺、万引きに始まる犯罪、ひきこもりetc様々な問題があります。
でも、これは彼らが大人になるための通過儀礼としてのあらわれかも。
通過儀礼に際しての「痛み」の過程として、大人も「村」の一員として
かつて通過儀礼をうけた子どもだった自分も
いっしょに乗り越えてやらないといかんのでは、と思います。

いじめの原因とか、だれがいじめたかとかかぎまわったり、誰かに責任とらせたり、
対処療法してたってあかんやろう。

通過儀礼を授けて?やることはできないけど。
子ども達と対話ができる環境をつくってやらねば。
そして大人の自己教育。

なんか、重い内容になってしまいました。しかも長いし。(いつもですが)
おつきあい ありがとうございます。
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by miroku-ai | 2006-11-20 15:21 | シュタイナー

物語と子育て

朝刊をみて中高生の自殺の記事が見あたらない日
がないくらいで、毎朝心が痛みます。

子どもの中学PTA活動で、養護教員とスクールカウンセラー
にインタビューする機会がありました。

子どもの中学のスクールカウンセラーは若い男性(独身と思う)
なんですが、とてもいい印象をうけました。
がんばれ〜!といったメッセージを発するわけでもなく
(そういうのは、熱血先生にまかせて)
ただ、相手の話を丁寧に聞くのが自分のパーソナリティーとおっしゃってました。

で、下の投稿に登場したイ・ビョンホンと来世結婚するおばちゃん
同席だったので、必然と彼女のお母さんの話になってね(笑)
でも、カウンセラーさんはじっくり聞いて下さってました。

「子ども達には、そのような物語が語れる大人が必要なんです。」

おお〜、と心の中で感激。
そう、そうなんです。これ、これなのよ!
小さい頃から、じいちゃんばあちゃんの膝で、
悪いコトしたら、地獄行きじゃ、とか嘘ついたらえんま様に舌抜かれる
とか、なんでもいいけど、人間の馬鹿な行いと天国とか極楽とかの
交流の話とかきくのがいいのだ。

前に投稿した言語造形をやっているひとつの理由です。
グリムや日本の昔話には「叡智」が語られているんです。
なかには魔女が殺されるシーンは子どもに残酷だと変えられている
らしいですど、残念です。例えば「魔女の死」は自分のなかの「悪の死」
であったりするわけで、主人公達は困難を乗り越えハッピーになる。
幼児でも残酷とは感じていません、彼らは、お話にはいりこんで、一緒に主人公と闘い
ラストシーンで悪の死を主人公と共に喜ぶのです。

主人公が森(社会)にでかけて、色々な助けをもらって、
困難(エゴ)に立ち向かい、主人公は真の私(自我)となる。
優れたお話は、子どもの心の栄養となり、
やがて訪れる思春期やそれからの社会に出た時の困難に
立ち向かう“勇気”となります。

これをイニシエーションといいます。秘儀参入です。
おお〜怪しいモード炸裂です。
ま、メルヘンの世界ですけど(*^_^*)

うちの子たちは、中学生になっても、小学校の弟が読んでもらっている
グリム童話、聞いていますよ。

童話でなくてもいいんです。
大人が、そのような人間の心の成長のための話を
大人の言葉で語ってやったらいいんです。

恋愛で悩んでいる子には恋愛での失敗談を、とか。
下の記事のおばあちゃんの話でもなんでも。

シュタイナーはいっています。
学童期(7才から13才=第2七年期)の子どもには
尊敬できる大人であること。
特に思春期(14才から21才=第3七年期)の子どもに対する
大人のありかたは、理想が語りあえる大人でしょうか。

社会的な決まり事の観点ではなく、人間として子どもに接し、
子どもの模倣となり、尊敬できる人となり、対話ができる大人。
シュタイナーの求めるところは、とても厳しいかもしれません。
教育者とは、教師だけではありません。
親もこのあり方を求められます。子どもに接する人は全てです。

今、子育て中の私達親も、上で言っているような育てられ方をして
こなかった方が多いと思います。私もその一人です。
だからこそ、世の中がしんどいのですね。

今、成人している人間は、次世代を担う子どもを育てるお役があります。
直接的でなくてもです。
でも、その中で、問題が生じてきます。子育て中はいろいろあります。

そこで、自分が子ども時代に育ててもらっていないこと(幼児期)
育ててこなかったこと(思春期以降)を、大人自身が自分に働きかける、
『自己教育』をしていくのです。

大人は、自分に自己教育をできるんです。
人様や社会のセイにしているバヤイじゃありません(笑)

グリムはいいですよ〜大人にもね。
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by miroku-ai | 2006-11-19 14:08 | シュタイナー

言語造形

月一回「言語造形」のお稽古をしています。←は先生のHPです。
今日はお稽古の日でした。
言語造形というのはドイツ語ではSprachgestaltung。
ルドルフ・シュタイナーとその夫人によってつくり出された「ことばの芸術」です。

「朗読術」のようなものともいえますが、そこがシュタイナーさん
の考えたことなので、すっぱりとこれ、とは言えないのがミソ。
「オイリュトミー」なんかもそう。「身体運動芸術」・・・なんじゃそりゃ?と初めは思いましたよ(笑)

私達はことばを毎日つかいます。でも、あまり意識をしてつかうことは少ないです。
無味乾燥なことばでなく、生き生きとリアリティーをもって語る、
するとそのことばは命をもち、相手のこころをふるわせる。
そしてその空間のなかで響き合いが生まれる。

たとえば、幼児が「お母さん、あのね」といってくるとします。
その時母親が「なあに」という時、母親の全存在をかけて発せられた「なあに」と
「今は忙しいのに・・・」と思って背中越しに発せられた「なあに」は子どもには
まったく違って受け止められるはずです。

幼児がただ「なあに」と母親がひとこと言っただけで満足する。
こういうことってわかりますでしょうか?
これは相手の事をまず受け止めていなければできません。

言語造形のお稽古はまず、「おはようございます」と相手をしっかりみて挨拶して
お手玉を渡すことからはじまります。
「おはよう」と言い始める前から「おはよう」がずーとかなたから始まっているのを感じて
「おはよう」と言い始めて下さい。そして言い終わっても「おはよう」はずっと続いています・・・な〜んて、先生はおっしゃいます。
そして挨拶された側もしっかりそれを受け止めることの練習です。
これ、もう何年もやってますが。むむむ。相手を受け止めるって、ほんま、超難しい。
(ホメオパシーの基本はこれ↑なんですけどねえ〜)

この 暑苦しい(^_^;)挨拶の後、発声練習して、最近は参加者めいめいの好きな
課題を一つ発表して練習します。日本の昔話とかグリムです。ミェルヒェンです。

私は「こびととくつや」をやっていたのだけど訳あって「七羽のからす」に変更しました。
これはよく子ども達に読んでやったお話で、私も彼らも好きな話の一つ。
で、最近私用で参加できなかったので、今日は久しぶりでした。

「うん、とってもいいですね。落ち着いていて。“頭で考えて語らないで”と
よく注意をさせてもらいましたが、今日はどっしりと腰が据わっていましたよ」
とのコメントをいただきました。わーい。うれしいけど、そうか・・
私ってやっぱり、頭でっかちな語りをしていたのね・・・

「登場人物がいらいらする箇所では、文章が始まる前からいらいらしてみてください。
そして“腹立ち紛れに言った”という箇所なんかも「うそ」をついはいけません。
ほんとうに“あーもう!腹立った!”というリアリティーをもって語ってください。
腹が立つ、ということばを話す時にきて、腹立ててもだめですよ、もっと前から
腹立ててみてください」   は〜。やってるつもりなんですよお、先生。
四気質でいう、胆汁質があまりないのだと自分では思っているのだけど)

ことばを創造する、つまりことばを芸術するとは語り手自身がリアリティーを持っていないと
そのことばの本来の姿をつかんでいないとだめなんだそうです。
淡々と語っていてもありありとリアリティーを「秘めて」語れるようになれるように、
歩いたり、胸を使ったり(ゆるめて)指さして語ったり、いろいろがんばってやります。

もう先生の口から出ることば、表情や身振りのおかしいこと!!というかすばらしいのです!
先生が例えば「おや?」ということばをお手本で「おや?」をやってくださるだけで
おなかよじれるほど笑えます。ほんとうに「ことばのプロ」でごじゃります〜

しかし、私以外のメンバーの語りは上手いなとおもってしまう〜とほほ。修行じゃ。
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by miroku-ai | 2006-10-25 23:00 | シュタイナー