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通過儀礼といじめ

「物語と子育て」の続きです。
スクールカウンセラーのお話から。

  少年漫画は男子の成長をあらわしているように思います。
  「父親」を乗り越えていく、というのがテーマです。
  母親は死んでいる、という設定が多いです。
  厳しい師匠だったりして登場する「父親」が描かれます。
  そして、友人はみんな必殺技を持っていて、主人公と対峙したり助けたりします。
  「父親」というのは思春期になって始めて意識する「社会」だったりします。
  小学生はまだ社会は意識できない存在で、家族や母親との一体感で生きています。

うーん、なるほどね。
感心しながら、もうすこし、いじめについても聞いてみました。

  いじめもいろいろパターンがありますけど。
  通過儀礼のようなものかもしれません。
  実際パプアニューギニアで「無視をする」という通過儀礼を持っている民族
  がいます。だからといって、いじめは通過儀礼なんだから、と肯定されるものではなく、
  反復的、回帰的であってはいけないです。

そうなんか〜通過儀礼ね。
いやいや、私もいじめが通過儀礼であってはいけないとおもいます。

日本は(どの民族でも)昔、通過儀礼がありました。
男子の元服とか。成長の節目でする儀式ですね。
元服や、帯解きの儀式って、江戸時代に行われていましたが
かなりもう、文化的に洗練されている気がします。
今は、着飾るだけ?がメインの七五三や成人式・・・となってます。

通過儀礼って、子どもが大人になるための儀式ですが、
民族によって年令もやり方も違いますけど。
通過儀礼を経た子どもは、もう子どもに戻れない、
かつ、その社会の一員となって迎え入れられて、
構成員となり地位、権利、を獲得するのです。

パプアニューギニアの無視の通過儀礼をネットで調べても
見つけることができなかったのですけど、
あるアフリカの民族達と共に住んだ経験を書かれた
儀式(割礼)の論文を見つけました。美しい写真も見ることができます。
村が一体となって、一人の男の子を大人にする。

世界にはちょっと理解のできない通過儀礼はあります
正直、女子割礼は恐怖です・・・私。
肉体を傷つける儀礼はたくさん存在します。
命がけの儀式もたくさん・・・
でも、先進国の私達の意見でこれらを良いとか悪いとかはいえないですね。
「死と再生」でしょうか。

だけど、日本にしても、世界中の民族にしても、身体的、精神的な痛みが、
子どもから大人への変容するために必要とわかっているからこそ
世界中あちこちに、行われているのでしょう。

で、日本に話はもどって。
上で書きましたが日本は、形式だけの通過儀礼になってしまっています。
だけど、急に子ども達のあり方はかわらない。今も昔も不安定な十代は存在します。
思春期はエゴの生まれる時代です。自分のなかの暴力性や悪が暴れ回ります。
で、命がけ(えらくおおげさですけど)で大人が対峙してやらないと
暴れまくって、どうしようもないんじゃないかな。

今は受験が通過儀礼ともいわれてますけど。
それはそれでいいんですけど。
そこから、日本の若者達は解放される。また子ども時代にもどっちゃってもいいのだ。
だから意味のない通過儀礼のように思います。

私も含め今の時代の大人は、「なんとなく大人になった」人が多いような。
んで、そんな大人が子育てに参加しているものだから、
子どももどうしたらいいか、むかっていく相手がいるかわからない、っていうような
悪循環になっているのかな・・・。

いじめ、自殺、万引きに始まる犯罪、ひきこもりetc様々な問題があります。
でも、これは彼らが大人になるための通過儀礼としてのあらわれかも。
通過儀礼に際しての「痛み」の過程として、大人も「村」の一員として
かつて通過儀礼をうけた子どもだった自分も
いっしょに乗り越えてやらないといかんのでは、と思います。

いじめの原因とか、だれがいじめたかとかかぎまわったり、誰かに責任とらせたり、
対処療法してたってあかんやろう。

通過儀礼を授けて?やることはできないけど。
子ども達と対話ができる環境をつくってやらねば。
そして大人の自己教育。

なんか、重い内容になってしまいました。しかも長いし。(いつもですが)
おつきあい ありがとうございます。
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by miroku-ai | 2006-11-20 15:21 | シュタイナー

物語と子育て

朝刊をみて中高生の自殺の記事が見あたらない日
がないくらいで、毎朝心が痛みます。

子どもの中学PTA活動で、養護教員とスクールカウンセラー
にインタビューする機会がありました。

子どもの中学のスクールカウンセラーは若い男性(独身と思う)
なんですが、とてもいい印象をうけました。
がんばれ〜!といったメッセージを発するわけでもなく
(そういうのは、熱血先生にまかせて)
ただ、相手の話を丁寧に聞くのが自分のパーソナリティーとおっしゃってました。

で、下の投稿に登場したイ・ビョンホンと来世結婚するおばちゃん
同席だったので、必然と彼女のお母さんの話になってね(笑)
でも、カウンセラーさんはじっくり聞いて下さってました。

「子ども達には、そのような物語が語れる大人が必要なんです。」

おお〜、と心の中で感激。
そう、そうなんです。これ、これなのよ!
小さい頃から、じいちゃんばあちゃんの膝で、
悪いコトしたら、地獄行きじゃ、とか嘘ついたらえんま様に舌抜かれる
とか、なんでもいいけど、人間の馬鹿な行いと天国とか極楽とかの
交流の話とかきくのがいいのだ。

前に投稿した言語造形をやっているひとつの理由です。
グリムや日本の昔話には「叡智」が語られているんです。
なかには魔女が殺されるシーンは子どもに残酷だと変えられている
らしいですど、残念です。例えば「魔女の死」は自分のなかの「悪の死」
であったりするわけで、主人公達は困難を乗り越えハッピーになる。
幼児でも残酷とは感じていません、彼らは、お話にはいりこんで、一緒に主人公と闘い
ラストシーンで悪の死を主人公と共に喜ぶのです。

主人公が森(社会)にでかけて、色々な助けをもらって、
困難(エゴ)に立ち向かい、主人公は真の私(自我)となる。
優れたお話は、子どもの心の栄養となり、
やがて訪れる思春期やそれからの社会に出た時の困難に
立ち向かう“勇気”となります。

これをイニシエーションといいます。秘儀参入です。
おお〜怪しいモード炸裂です。
ま、メルヘンの世界ですけど(*^_^*)

うちの子たちは、中学生になっても、小学校の弟が読んでもらっている
グリム童話、聞いていますよ。

童話でなくてもいいんです。
大人が、そのような人間の心の成長のための話を
大人の言葉で語ってやったらいいんです。

恋愛で悩んでいる子には恋愛での失敗談を、とか。
下の記事のおばあちゃんの話でもなんでも。

シュタイナーはいっています。
学童期(7才から13才=第2七年期)の子どもには
尊敬できる大人であること。
特に思春期(14才から21才=第3七年期)の子どもに対する
大人のありかたは、理想が語りあえる大人でしょうか。

社会的な決まり事の観点ではなく、人間として子どもに接し、
子どもの模倣となり、尊敬できる人となり、対話ができる大人。
シュタイナーの求めるところは、とても厳しいかもしれません。
教育者とは、教師だけではありません。
親もこのあり方を求められます。子どもに接する人は全てです。

今、子育て中の私達親も、上で言っているような育てられ方をして
こなかった方が多いと思います。私もその一人です。
だからこそ、世の中がしんどいのですね。

今、成人している人間は、次世代を担う子どもを育てるお役があります。
直接的でなくてもです。
でも、その中で、問題が生じてきます。子育て中はいろいろあります。

そこで、自分が子ども時代に育ててもらっていないこと(幼児期)
育ててこなかったこと(思春期以降)を、大人自身が自分に働きかける、
『自己教育』をしていくのです。

大人は、自分に自己教育をできるんです。
人様や社会のセイにしているバヤイじゃありません(笑)

グリムはいいですよ〜大人にもね。
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by miroku-ai | 2006-11-19 14:08 | シュタイナー

来世プロジェクト

PTAの活動で知り合ったお母さんの話です。
何の話からか、誰かが愚痴を言っててね。

「イ・ビョンホンと来世に結婚するために、自分は今の旦那を大切にする。
それもイヤイヤじゃなくて、本気で好きで好きでたまらない状態で、
今生は死なないといけない。
そしたら、来世はイ・ビョンホンと出会えて、結婚出来るのよ!!!」

(^_^;)わー!

真面目な(?)会議中にみんな手がとまり、彼女の話にあっけにとられ聞き入ってました。
文章で上手く表現できないのが惜しいくらい、彼女のエネルギッシュな話はおもしろかった。

「“6人くらいで来世プロジェクト”っていうのやってて。そのうち3人はこの考え方
(芸能人と結ばれる)でほんとに初めはイヤイヤだけど旦那さんにお茶いれようか?
から始めて、旦那さんととっても上手くいくようになったのよお。
メンバーの一人はお坊さんで、来世は英語が上手く話せるようになるため
今、英会話に励んでるの。来世は、今生死んだ時点、そのちょうどそこからしか
はじまらないんだから。自殺したら自殺したところからはじまるんだからねえ〜」

だってさ(^_^;)へー!。

ホメオパシーやシュタイナーの関係の(?)集まりでしたらなんにも
珍しくないのですが、普通の学校の保護者のなかで、このような
会話がでるのは、妙におもしろかったわ〜♪

ちなみに、私がホメオパシーや人智学を学んでいるってことは
かなり親しくないとカミングアウトしてません:めんどくさいもん <(_ _)>

PTA会議室はみんな目が点。
普通なら(ナニが普通で普通でないのか〜)ひくよね〜
だけど、彼女の明るさで、みんな引き込まれてましたよ〜

彼女の“来世プロジェクト”の話は、80才台のお母さんの教え?影響?
だそうですけど。これまた強烈なばーちゃんみたいですわ。
普通のばーちゃん なんだけど、(あぶない宗教家とか道場をもっているとかじゃなく)
近所でこの究極な“お考え”を広めているそうで。地道に公立学校とかでね。

私、上手く説明できませんが、超前向き思想でもないみたい。
中間思想だそうです。

「5才でお母さんが死んだの」って子に普通
「ああ、よかったね」っていわないけど、この方はあえていう。
遺された子どもが、イヤだな、と思うことをやったとします。
(例:猫の死骸に遭遇して、イヤだけどかたづける)
そうしたら「天国のお母さんが、ステーキを食べられる」
と思ったらいいのよ、と子どもに言う。
だから、そうやって天国のお母さんがハッピーになれる環境を
あなたはつくれるのだから、「お母さんが死んでよかったね」だそうです。
そんで、いまその子は、お医者さんをめざしているらしい。

初めは、イヤながらするのがスタートでもいい。
でもそのうち本気で嬉しくなってきて、ついにはなんだか自分も
まわりも幸せいっぱいになってる、みたいな。

ま、斉藤一人さんとかの考え?によく似ているように思うのですが
つまりは「感謝する」ってことかな〜なんて思って聞いていました。

誰かの本読んで影響されたんじゃなくて
普通のおばあちゃんが、生きていくなかで得たこと(戦時中にとか)ってことに・・・感動。
そのおばあちゃんの娘である彼女も本当に、普通のおばちゃんなんだもん。
ちょっと ハイテンションですけど(笑)カリスマ性があるわけでもないの。
ただ、一途で、こうやったら幸せよ〜!!それを、伝えたいわ〜ってオーラがでてるの。
無邪気なオーラですわ。

シュタイナーもホメオパシーも、あとスピリュチャルなことってさ、
場によっちゃめちゃ怪しまれるのだけど(笑)
気負わず、何かを伝える、そうしたらわかりあえるのかな〜
よっし!(←なにが?)
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by miroku-ai | 2006-11-17 18:07 | プラスα

かたよらない こだわらない

合コンと般若心経の話の続きです。

うちのダーリンが最近小林正観の『釈迦の教えは「感謝だった」』という本を
買って置いてあったので、私もちらーと読んでみました。
(トイレ掃除しなさい、というおっちゃんで有名?らしい。著書は始めて読みました)

難解だと思っていた般若心経が高田好胤師のようにわかりやすく、解説されています。
     ***
自分の思いどおりにしようと思うから悩んで苦しむ。
受け容れると楽になる。
この世の苦しみの根元は「思いどおりにならないこと」
釈迦は見抜いていた。「苦」の本質はこういう事。

なのに、日本にお経が入ったとき「苦」が「苦しみ」と読まれた結果
我が身に降りかかってくる病気や事故や災難、トラブルなど
そういったものが「苦しみ」という意味に転じてしまった。

     ***
般若心経のベースはもちろんこれ↓ですけど。
色不異空。空不異色。色即是空。受想行織。
「この世の中で常に移り変わる現象には実体がない、空なのだ。
それがこの我々が生きる世界の本質なのだ。
私たちの目に映る(物質の)世界で、感じたことも、
想ったことも、行ったことや、知識も、すべて実体はない。」

無苦集滅道。 
「苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを滅することも、
苦しみを抑える道にも実体はないのであり、煩うことはないのだから。」
とつづきますね。

自分の思いどおりにしようと思うから悩んで苦しむ。    
受け容れると楽になる。
と正観さんは書いていました。

「強く思えば願いはかなう」とか、「夢、目的を持っていきる」とかの成功法則
ってありますね、それはそれでいいとはおもいますが
お釈迦様の言ってる事ってもっと深い。

奴隷に命令をし、嫌がる心をむりやりやらせる、
その時の「奴隷」の「心」を「怒」というふうに書きます。
つまり「努力」とは、「嫌がるものをむりやりやらされること」というのが本来の意味。

結局は「受け容れればいい」、受け容れるには感謝すること
と正観さんは結んでますけど。

自分が世界と思っている世界は自分の「想い」が創造してるんだわ。
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by miroku-ai | 2006-11-11 23:49 | プラスαな本

世界遺産で合コン♪

先日の新聞でほっほ〜と関心した記事。
       ***
薬師寺で男女の出会いのきっかけをつくったそうな。
まずはみんなで坊さんの法話を聞き、それから
「こだわらない、かたよらない」という教えの般若心経の
写経をして、一対一のフリートークに続き、境内散策。
       ***
OH!GOOD!(なんで英語やねん)
「般若心経をしているとこころが落ち着いてきますね」
「あなたの写経の字がとても綺麗でみとれてしまいました」
てな感じっすか〜(*∀*)にゃは〜

カップルが結婚したとして「出会いは薬師寺でえ・・・」とか・・ふふふ。
20組の募集に4倍の160人くらい応募があったそうで、
11組カップルが成立したらしい。ほおお。
やるね!薬師寺。その後がきになりますな。

写真でみたところ、ふつーっぽいメンズと、イター!オタク風メンズ。
だめじゃん、偏見もったら ペシッ(°∇°;)\( ̄  ̄ )

しかしね、この法話と「かたよらない こだわらない」般若心経の写経
が前半にあるってとこに シビレちゃい ま・し・た。

「かたよらない こだわらない」は薬師寺127代 管主高田好胤師の有名な訳?ですが
「結婚」ってことでなんらか悩んでいる人にはいいんじゃないか、と思うのです。
だって、「いい年して結婚してないの?」とか独身者のまわりってうるさいし。
「結婚したいけど相手いない〜」とか、様々お悩みのかたいらっしゃるはずと思うのです。

で、そんな自分の思いこみの悩み、苦しみを見つめ直すきっかっけとして
般若心経をどうぞ!!って、ああ〜いいやんか〜(うっとり)
私はお陰様で嫁にいくことはできたけど、もし独身で悩んでいたら
きっと薬師寺の合コン、申し込んでいたかもしんない。
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by miroku-ai | 2006-11-11 23:38 | プラスα

国際セミナー2006

11月3日〜5日 3日間のMurray Feldman先生(マリーってこんなスペルなのね)
とSusan Gimbel先生の国際セミナーから帰ってきました。
すばらしい講義でした。一つ魂に刻印がされた、ような。

初日と三日目はMurray先生で、ケーステイキングを中心にした三日間の講義でした。

ケーステイキングの基本についてお話します、と口をひらかれて。
「non-judgemental, unconditional warmthー裁かない、無条件の暖かいまなざし」
のお話ね〜と思い、知ってる話、と思った私は後でひどく恥ずかしくなりました。

「患者を裁かない」何度もこの3年間、学んだホメオパスの在り方の基本中の基本。
別のいい方をすると「偏見なき観察者」なのです。

患者さんがセッションで話し始められる。途中で 「あ、これは○○レメディーに似ている」
と思うこと、大体のホメオパスは経験するはずです。しかし、
自分の過去の症例や、知っているレメディーをセッションの間に
思いうかべることは患者さんを自分の経験や知識と比べていること。
これは、患者さんをありのままに受け止めていることではないのです。

ホメオパス自身の偏見とは、ホメオパス自身の勝手な固定観念です。
なにかレメディーが浮かんじゃったら最後、どうしても、そのレメディー
の方向にいきたくなってしまい、その思考にあわせた質問をしてしまう。
患者さんの人生の100%を受け止めることができなくなって、
50%の情報しか受け取れなかったり、悪いことに10%の情報を
ホメオパス側でふくらませた質問したりして。こうなるとセッションは失敗してしまう。

これってまったくの裸眼でみないといけないところを色眼鏡もしくは
眼帯をした状態の眼鏡をかけちゃっているかもしれない。

そうなんです・・・まだ 私はそんなに患者さんをみていませんが、
授業で先生方がとられたケースで勉強させてもらう時、
すこし前の授業できいたレメディーにどうしてもなっちゃったりするもんな〜

自分の偏見を捨てること、過去の経験、成功例などから自由であること。
なんと難しいことだろう。しかしなんと尊いありかただろう。
そう、セッションは自分と患者さんしかいない空間。だれもみていない。
だからこそ、自分の偏見とたたかうこと。すべてから自由であること。

ホメオパスをめざすものなら、患者さんにあう前 毎回これを肝に銘じないといけない。
毎回、毎回、患者さんは違う個性をもった方。
昨日の、一週間前の、一年前の、患者さんとは 何の関係もない。
私のなかで彼らを勝手に繋がらせることはできないはず。
一人の患者さんに出会うとき、自分の過去から完全に自由でありたい。
ホメオパスが毎日、そして一瞬、一瞬生まれ変わらないとならないということ。

「Be stupid」 よいホメオパスはの条件です!(^^)!
患者さんのまえでは「お馬鹿ちゃん」になるということ、知識ある人、賢い人をやめちゃう。
生まれたばかりの赤ちゃんのように全てを受け止める人間になることなんだな〜
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by miroku-ai | 2006-11-10 22:38 | ホメオパシー

明日は東京

明日から三日間 東京に行きます。
ホメオパシーの学校で年に一回 国際セミナーというのがあって、
外国の巨匠といわれるホメオパスの講義を受講出来ます。
楽しみだわ〜

今年の先生はカナダのマリー・フェルドマン スーザン・ギムベルご夫妻です。
彼らのことは全く知りません。すいません勉強不足でございます。

去年はジュエレミー シェアーでした。しかも四日間という超豪華版!!!
ホメオパシーはハーネマンの活躍した後の100年、ケントの時代の100年、
そして、現在はサンカラン、ビソーカス、マッシモ、ジェレミーなどが新しい
ムーブメントを起こしている100年と言われていて
その現代のスペシャルホメオパスのジェレミー先生の講義受けられたってこと
日本に居ながら なんて幸運。学校と先生方〜ありがとう(泣)

ジェレミー先生はチョコレートや大白鳥のプルービングを指揮された先生で、
去年の講義はそのプルービングからアプローチされた講義でした。
ホメオパシーが本当に実証の土台にたつ医療であり
ホメオパシーってまったく正確である、と実感しました。
ジェレミー先生はタオ(道教)などの東洋の考えに造詣が深く、先生のオリジナル
の考えを交えたホメオパシーの説明はすばらしかった。

なによりも、ジェレミー先生の“ひととなり”に感動しました。
なにがって聞かれると・・・困るのですけど、とにかく、彼のハーネマンの
オルガノンの9章の解説を聞いていて、涙があふれてとまらなかったのです。
ジェレミー先生のその時のお顔、まなざしは今も胸が震えます。

また帰ったら、今年の国際セミナーの様子をお伝えしたいと思います。
では いってきま〜す。
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by miroku-ai | 2006-11-02 23:08 | ホメオパシー