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復活 Auferstehn アウフ・エアシュテーエン

春先でもないのに「復活」。キリストの復活ではなく最後の審判かな?
週末に、マーラーの復活を聴きに行ってきました。
ある方に「行けなくなったので」とチケットが二枚。
ラッキー〜。長女といそいそ行ってきました。おありがとうございます。

指揮は金聖響で「僕は指揮者になるんやー」と決心したきっかけに
なったのが小澤征爾が振っていたこの「復活」だったみたい。

あんましクラッシックは詳しくないけど、キリスト教圏の死生観が良く表れているな
と思いました。(初「復活」です)
第一楽章は自分の人生がこんなふうだったんだ〜ぎょえ〜みたいな感じ(笑)
よく解説で“走馬燈のように”とか表現されていますけど。
私らは閻魔様のまえで“はは〜っ”ってしているイメージ?

だけどね〜、きっとね、人間死んだらすぐに巨大スクリーンのまえで、
縁のあった人と一緒に自分の人生を逆向きに上演されるのをみる(シュタイナー)
っていうイメージがあるので、私的には「ぎょえ〜!」Σ(д゚||)Σ(  ||)Σ(||゚д)Σ(||゚Д゚||)
打楽器とかで「これでもか〜!」的に表現されてまして、コンマスの演奏も
ど派手だったりします。ドラマチックでした。まさに人生いろいろ。

それにしても合唱団の立つぶん舞台がせりだしていて、すっごい前で疲れました〜(娘談)
第1楽章。曲が終わると、指揮者も椅子に座って休憩タイムがおもしろかった。
第1楽章が終わったら休み、という曲みたい(マーラが楽譜にそう書いているらしいぞ)
ということは、やはりエネルギーのいる曲なんですね〜。
聖響さんチェロの主席の二人(娘とひそかなファンの大フィルでいつもお見かけするメガネさんと長髪髭さんと呼び)となごやかにおしゃべりされてました。

第二楽章は弦楽器が柔らかな音色で、自分は復活できるんやあ〜みたいな(笑)
雰囲気で進み、それが第三楽章では「復活できるかって?甘いで〜ひひひ」みたいな困惑?
絶望のような進行でございました。至難また至難、試練につぐ試練みたいな。
幕内の管楽器のはいる構成でこちらはすごく不安になる効果。バンダというらしい。
ティンパニなんか二台もあるんだよ〜。ホールが震え破壊的なエネルギー。
それでも時々弦楽器の優しい音色もきこえるので、がんばって行こう(どこに?)ってなる。

第五楽章のソプラノとメゾソプラノの独唱が突如はいって(神の声とか天使の声?)
クライマックスへといくのですが。圧倒される合唱団とオーケストラの響きでございました。

いろいろと、クラッシクの感想を書くのは難しいと、これ書きながら思う次第です(^^;)
ま、率直にいうと、これって、やっぱり西洋の人間のなせる技とつくづく思う。
日本じゃ、閻魔様(しつこい)ちょっと滑稽な感じかなあ→地獄のソウベイ
(突き詰めていくと人間の精神性は西洋東洋は問わないと思うのですが、
私のような未熟者では、マーラーの精神性には到達できんです。)

もうちょっと、マーラーの背景とか勉強してみたいです(しらんのです)
それと最近、宗教音楽などに興味を持ちはじめてきました(マタイ受難曲とか)
っていうか、昔は合唱付きとか嫌でたまらなかったけど、
(大フィル合唱団とはいわないけど)クワイヤーで歌うって気持ちいいだろうな〜
なんて思うし。多分、特に「神」を意識された音楽って、本当に天と地がつながって
生まれた音楽でしょうし、それに聴衆としてでも参加するだけで、宗教的本質に
触れるような気がしています。

それにしても、「若いけど聖響さんがんばらはったな〜」ってつぶやくと
娘は「いまいちだった〜オケとずれてたで」とかわかったようなわからんような意見。
そうかもしんない。西洋人の魂を体現するのって難しいのだわ。
音楽家の経験ってどんな構造になっているのかしら?と素人コメントです。


今回のパンフレットがね復活についての解説が殆どなくて、調べました。
歌詞はここから。
Was entstanden ist, das mus vergehen. 生まれて来たものは滅びなければならない。
Was fergangen, auferstehn!       滅び去ったものは、よみがえらねばならない。

Hor auf zu beben! Hor auf zu beben!  震えおののくのをやめよ!
Bereite dich! Bereite dichi zu leben.    生きるために汝を用意せよ!

Auferstehn, ja auferstehn, wirst du, よみがえる、そう、汝はよみがえるのだ
mein herz, in einem Nu!        私の心よ、今ただちに!
Was du geschlagen,            汝の高鳴ったその鼓動が
zu Gott wird es dich tragen!      神のもとへ汝を運んでいくだろう!
wikiから引用みたいですね
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by miroku-ai | 2007-10-29 23:56 | プラスα

若い人によるコンサート

このブログを読んで下さっている皆様のバレンタインデイはいかがでしたか?

今朝息子(10才)はというと「あ〜どきどきするぅ」というので「なにが?」
と聞くと、「チョコをもらえなかったらどうしょう」だって。
んで、学校から帰ってきて「クラスでチョコの数一番だった(^^)/」
そうか、そうか。今年はプレッシャーだったのか。モテ君もつらいのぉ〜

娘は紙袋いっぱいの「友チョコ」もらいご満悦〜
私はというと手作りチョコも(家族用)なんだか
今年はごめんなさいしてしまいました。(くらくらした。チョコにプルービングか?)

日本はお菓子屋さんの陰謀で女の子から男の子に告白出来る日
ちゅうのがきにいらない〜なんで日本ではこうなるの〜!!!

昔ローマで士気が弱まるからと結婚を禁じられていて
あるカップルが聖バレンタインの助力を得て、国禁を犯して結婚します。
それでバレンタインは投獄されます。
ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンタインと親しくなりました。
そして、バレンタインが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになります。
これがきっかけとなり、バレンタインは処刑されてしまうのですが、
死ぬ前に「あなたのバレンタインより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。
バレンタインの命日が2月14日なんですって。
そのうち若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を
2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行ったとか。

そういう愛の日って一応知ってほしいな〜
・・・とか言いながら、私も最近まで詳しくは知らなかったわ。オイ!!!
何年か前にシュタイナー学校で、子ども達が教わってきたのを教えてもらいました。
いろいろバレンタインの伝説はあるみたいだけど詳しくは忘れちゃった(だめじゃん)
なんか姫(女の子)がパンを配るためハート形のパンを焼いた覚えがあるにゃ。
また子どもにきいておきますm(_ _)m

とにかく、バレンタインって「愛する人に」捧げる日なのだ〜と言いたいのである。

で、話はかわり、今夜は娘たちとコンサートにいきました。(また行ったの
知人の知り合いが主催する大学生くらいの若い人の管弦楽団。
art cubeというグループでした。

アイネ・クライネ・ナハト・ムジークとかおなじみの曲から
D・ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲とか技術いりそうなのも
若者らしく演奏をしていたのが印象的でした。
この曲のソロヴァイオリンしてた子は穴あきジーンズ(他の演奏者は正装)
しかもジャニーズ系な男の子で そのミスマッチがおもしろかった〜

シンクロナイズドスイミング風のピアノ連弾とか
小学生のコスプレしてとか、文化祭みたいなノリでした。
プロではないのでお安いし、「はじける若さの音」って感じです。
決して、いい音でてる!ブラボーな音!とはいえないのだけれど・・・
こういう人達を育てていけば、クラッシック界の裾野も広がるね。
最近は、「のだめ」効果もあるしさ。

ということで、例年より、ちょっと変わったバレンタインの日でした。
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by miroku-ai | 2007-02-14 23:28 | プラスα

セロ弾きのゴーシュ

「宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ」のコンサートに長女といってきました。
すこし変わったコンサートで、落語と管弦楽のコラボでした。

舞台の半分が管弦楽(洋風?)で半分は高座(和風)で、あはは〜な感じ。
それでも、舞台が始まると違和感なく引き込まれました。

物語の語り手は、今をときめく桂吉弥(←夫:談)
ちょうど落語のお囃子のようにフルートやパーカションが鳴り
ゴーシュがチェロを引きずって運ぶところなんかが
普通の落語のようにおなじみの扇子で巧みに表現されるのですよ。

実はクラッシク音楽仕立てのセロ弾きのゴーシュは2度目。
初めての会は演奏者がたった一人だったのですが、
女性チェリストの演奏がよかったという印象のみでした。
あの時は三番目の子がまだ未就園児で大変だったなあ〜

だけど今回は、演奏や演出もよかったのだけど、
宮沢賢治のこの作品に対して印象が全く変わりました。
賢治の作品は不思議感があり、いま一つ理解に苦しむ作品(思想)が多かったのですが
(「やまなし」とか)、今回沢山の気づきがありました。
はっきりいうと、賢治がすこし好きになりました。(好きになれなかったの・・・)

ひと言で言うと、「賢治のやさしさ」にふれたような・・・
よく味わってみると、「一人の人間の成長のあり方」だったんですね。

田舎町の楽団で下手っぴいなチェロ弾きのゴーシュは
楽団長から叱られ、心底「困ってしまう」ところから物語が始まります。
動物たちは楽団長から指摘されたところを全て「身を呈して」教えてくれるんです。
猫とかっこうとのやりとりはお互い痛々しいのです。
私達が「気づく」ために、他人はあえて「悪役」のような形でもって
教えてくれます。観音様ですね・・・

後半の狸と鼠らとのやりとりには「自分自身を受け入れること」が表現されています。
子鼠の病気を治す所なんて、いつもホメオパシーの学校の学長がおっしゃる
「自分自身を癒していく余波で他人を癒せるんです」って言葉がひびきます。

ま、↑はねいろ風感想ですけれど・・・
ホメオパシーをはじめて、色んな文学作品、映画の印象が
変わったことに気がつきます。ありがたや〜(今まで閉じていたんだろうな)

また賢治の作品を読み返してみたいです。
「夜鷹の星」なんて、「いじめ」問題に悩んでいる親に読んでもらいたい。
「魂は決して病まない」というメッセージではないでしょうか?
賢治の感性・・・特に音楽に対してもすごい人だったのですね。

話が大きくそれてきましたが。
実は、ゴーシュ役は長女のチェロの先生でした。
いつも淡々と穏やかな指導をされるの先生なんですが
あんなに感情をこめた演奏をなさるとは驚きでした。d0090637_383763.jpg
なんせ、レッスンの時の静かな先生がコンマス(みたい?)なポジションなのが
「と〜っても不思議な気分」で娘と拍手して。
(もともとチェロってあんまり日の目をみない楽器だしさ=そこがいいんだけど)

いや〜音楽っていいですね〜♪
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by miroku-ai | 2007-02-12 02:17 | プラスα