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数学の「美しさ」と「問い」

二学期になって、娘の中学に授業参観にいった。授業が数学だった。

数学の先生がかわり、この先生はいいんだと娘は言う。
参観させていただいたら、ほんとうにそうだった。
生徒にわかりやすく説明するポイントをおさえていらっしゃる。

無駄がない・・・というのか。ポイントを押さえているというのか。
ほれぼれした授業だった。

内容は、証明。この単元は、ワクワクします〜♪
私が、中学の時は、この単元は嫌いじゃなかった。
だけど、どういうふうに筋道をたてていったらいいいかわかならかった記憶がある。

その先生の説明は真新しいモノはない。
だけど、この仮説が正しいとするのには、どんなものをもってきたらよいのか
そして、どんな定理を使うのか、それだけだった。
仮説と定理と結論。なんて美しいと思った。

なんで、私は十代の時、この美しさに気がつかなかったのか。
思考が可能になる年代、子ども達には最高のエクササイズ。

数学を愛しているものしか、その世界は案内できないだろう。
先生と子どもの出会い、よい先生との出会い、これほど幸福なことはない。

この前、夕飯の時、娘がぽつり。
なんで円の一周の角度は360度なのか?
うーん。家族でいきついた結論は、「360度って便利そうって思ったからそうなった。」
でも、娘は「なんで?500度とかでもいいのになんで、360度なのか?」
と納得してくれない。便宜上そうなったのだと、夫と私がいうけど、納得いかない娘。

インターネットってこういうとき便利。
ウィキの角度のページをみたら、ははーんなるほどっておもうでしょう?

古代、そうエジプト?バビロニア?メソパタミア?文明で、
太陽のまわりを一周する地球の一日を一度としたんですね。
60進法とヤツです。一年360日としたから、360度としたんです。
2,3,4,5,6の何でも割り切れるということです。
10までの数なら7だけ割り切れないのね。
9、10、15、18、30、45でも割り切れる。わあ〜。約数かあ。

次女の素直な疑問。すごく素敵な視点だ。
これはこういうもの、決まっているもの、ということでない。
この視点から、(ファンタジーの世界に)遊べるよね。

娘が日時計を体験したことがあったから、なるほど〜と一同。

180度の線がはじめからあるわけでない。
90度の直角なんてのも、本来はないはず。わかりやすく、便宜上定理として決めた。
本当は世界には、直線とか、点とかってないよね。存在できなよね。
世界は混沌としているように思えるけど、夢見がちなだけでは始まらない。

観念を発展させていくこと、それはその人の世界観を広げる。
混沌のなかに秩序が生まれる。

世の中は、仮説だらけ。
でも、たしかに定理はある。秩序が生まれる時と空間がある。


まだまだ母もわからないことだらけだけど、娘よ、あなたの問いに
わくわくさせてもらったよ。ちょっぴり、数学者になれた気分。
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by miroku-ai | 2007-12-01 23:29 | プラスα

息子よ!

先日の「母よ!」に続く第二弾「息子よ!」でお送り致します。

ー息子よ!本格的な風邪かよ?編ー
最近息子が風邪ひいた♪(ゴンベさんの赤ちゃんが風邪ひいた風)
彼は、丈夫な我が家のなかでも抜群に丈夫な男子だ。
幼稚園は皆勤だし、殆ど小学校もそう。噂ではおバカではないかという話もある(^^;)

このあいだ、珍しくしっかり風邪をひいた。いつも、鼻風邪程度で、レメディー飲んだら
あっさり治ってしまうのだが、今回は長引いたかな。
いつもFerram Phosとかを飲むと「あ、治った」というお手軽な息子なんだけど
今回は、ぐずぐずしてたかも。でも治っていなかったようで、一週間後、
急に悪寒、その後高熱が出て、一日半、起きてこないでひたすら寝ていたわ。
(ポイントは、休日に具合が悪くなり、学校は休まないでいけるところがすごいっす)
こんこんと眠る彼に家族みんなで、驚き〜(小児感染症でもピンピンしていた息子なので)
死んでないだろうか?と家族がのぞきにいく始末。

眠り王子様は、眠りから覚めると、すっきりと「治ったわ」だって。
恐るべし、息子の生命力。

ー息子よ!レメディー編ー
ちょっと風邪をひくと、すぐレメディーを飲みたがる。(風邪ともいえない段階)
家族で一番レメディーを(無駄に・やたらと)消費するヤツ。

「母さん〜僕風邪っぽい、咳出るしレメディーちょうだい」
いつもレメディーを慎重に選んでやるのだが、
その日は、朝弁当を作っている時で、後にして〜と言っていた。

私も一段落して、「どこがどうしんどいの?」と聞くと
「あ、もう飲んだわ」という。「え〜!!!何飲んだん???」と聞くと
「棚の一番手前にあったやつ、適当に飲んどいたわ」
な・・・なぬ?テキトー???!!!
あわてて洗面所にいって、一番手前にあるレメディーを確認したら
Symphytun(シンファイタム)やんか!
  *別名:骨接ぎのレメディー/骨折時にArn.(アルニカ)Calc-p.(カルクフォス)
  と共に活躍する救急時に心強いレメディー
ううう・・・息子よ!これは風邪でも、君にマッチしているレメディーでもなさそう。
適当に飲むな!!!テキトーに!!!しかし、それで「治ったわ、あのレメディーで」
っていう息子。これは、ホメオパシーにおけるプラセボー効果か?それはそれで複雑な気分。

ー息子よ!まったり編ー
今朝、朝起きたとき(まだ一緒にねている)の布団のなかでの一言。
「ねえ、お母さん〜耳が聞こえない人の夢はね、音がないのかな?
目が見えない人の夢は僕らが見てるようなものが見えてない夢なんかな?」
って聞いてきた。ほんまやねえ。そんなこと考えたことなかった。

そんときに私が答えたのは・・・
私らが、いつも見ている夢は、夢見ている時にほんまに(実生活で)聞こえているように
聞こえてるんやろうか?
ちょっと違う気がするねんなあ〜
そういうことでいうと、夢を見るっていうけど、ほんまに見ているのかな?
だってさあ、夢を見ているときって、目を閉じているやん?
だけど、夢って見えるんだよねえ〜聞こえるんだね
・・・不思議だねえ、息子よ!君はどう思う?
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by miroku-ai | 2007-11-18 23:30 | プラスα

学校はまちがってもいいところ

息子(11歳)が夕食後算数の宿題をしていた。
わからないところをみてやる。なんだか今日は気分良くみてやれたんだよね。
それは、しろくまさんのブログを読んで私がとても安心したからかもね。
(時々、ガミガミババアに変身するのだ〜爆)

最近糸山氏のようなよく考えている教育者が増えているなと思う。
齊藤孝さんとか。AERAとかの教育雑誌もでてますね(全部いいかどうかは別として)
詰め込み教育のいかんところは親世代もよくわかっているはず。
でも、どうしたらいいかよくわからない→○○式とか塾にたよっちゃう。

そうじゃないんだよな〜
大人の役目は、その子が大人になって、自分の意志でしっかりたって
自分で考えて、行動できるように環境を整えてやることなんだよね。
そして、そのためには、子どもの成長のしくみ(段階)をしらないといけない。
そのことをよくわかっている人は、シュタイナーさんだったりする。
ここで間違ってはいけないのは、シュタイナー教育にたよることじゃないのだ。

シュタイナーをしらなくても、人間のことをよくわかっているひとは
上手に子どもを導くことができるのだ。
だから、そういう人が表した教育はシュタイナー教育に似ているのはごくあたりまえ。

こんなふうにすっきり理解できたのは、ぼちぼちと、だったわけでして。
初めは、それこそシュタイナー教育にしても形ばっかりのお母さんだったと思う。
だから、子ども達には迷惑をかけてきたはず。
最近はそんな自分も赦せるようになったかな・・・・

いろんな焦りはあってもしかたない。
まずは、子どもを信じること。私を信じること。
私が子どもにしてやれることは、環境を整えてやること。
親も子どもにとっては環境のひとつにしかすぎない(率としては大きいけど)

それから瞑想・・・・それは祈り。
「私の子どもがこうなりますように」ではなく、
私の子どもがこうなりたいと想い描くことが叶いますように

子どもは、親をはじめ肉親から、教師から、社会から、劣等感を
すりこまれちゃう。だって、育てる側に劣等感がてんこもりだからね。
それをいかに肯定し、信じることに転換するかである。
だって子どもはマネをするんだもの。口先だけでは見破られ、負の連鎖が続く。

計算が早くできるのがいい。たくさん知識があるといい。
そうやって、大人は子どもをせかせて、準備の出来ていない子どもに知的早産させる。
結局大人が、自分で考える楽しみを奪ってしまうのだ。

息子は算数が苦手だという。
だけど、それは反復の量が少ないだけで、時期もまだ熟していないだけ。
私が説明すると、特に絵を描いてあげたりすると、わかる。
「あんたバカちゃうんねんで〜」と何度もいってやる。

宿題、まちがっていってもいいんだよ。
学校にいってる間は、間違っていいんだからさ。
  じゃあ、お母さん、しゃ・・・社会にでたら?(はじめて彼から社会って言葉がでた)
そうね、大人になっても間違っちゃいけない、ってわけじゃないよ。
間違ったってわかったら、間違いを改めたらいいんだよ。
  ふうん・・・

困ったら、解決できるように、それから考えるといい。
ほんとうに「わかる」ってことが経験できるといいね。
今は考える道筋をつける練習をしている、そしてたくさん遊ぶ、それくらいだよ。

遊ぶ・・・たくさんのファンタジー、イメージのなかで。
そう、このまえ、クスッってわらうことがあったな。

私が彼になにかの説明(忘れた・・・がーん)をしていて、
「だからね、このなかの小人さんがね・・・」といいかけたら
「なんでいっつも小人さんとか天使さんとかなん!」と息子(ちょっと苦しそうに)
あ、そうか。もう外からの(大人からの)そんな世界がいらない時期がきたんだ。
末っ子だから、私自身が感傷的になるのかとおもってたけど、案外さっぱり。
小人とか天使さんの出てくるお話からすこし変えていこうか、と心でつぶやく私。

それと今日夕飯時に息子が「ナマズが地震を起こすって言われてたん?」と聞いてきた。
「昔の日本では地面の下に大ナマズがいて、それが動くと地震になるって言われていた」
と答えると、「ほんまにそんなん いてへんやろ?」と聞く。
私が「昔の人はそう信じてはったんよ」、いつものようにまじめに答えると、
14歳の姉が「天照大神とかって、旧約聖書のアダムとイブのようなもんやし、
昔ってそういうことやで」と言った。証拠が・・・とか息子が言いかけていたけど、
姉のそんな話がかぶさってそれ以上息子は聞かなかった。

このやりとりをきいて、彼らは確実に自分の物語をもっているんだって思った。
反抗期の次女と、夢見ごごちの(時期が長かった)長男。
その二人の立場が少し変化した一瞬だった。
これからも、我が家の3人姉弟のそれぞれの物語は変化していくだろう。
今日のように、誰かが引っ込めば、誰かが出る、っていうふうに紡いでいってほしいな。
すごい喧嘩するけど姉弟ってなかなかいいもんやんか。

姉弟の会話というと、去年のクリスマスの日のもう一つ上の姉と弟の会話
ルビコン川をのんびり渡っている息子の今年のサンタさんはどうなることやら。
楽しみだ〜ひゃ〜


あれ・・・また話がどこかにいってしまいましたけど。
悩みが多い子育てだったりするけど、今日みたいな小春日和にささえられているな。
御縁のあるすべての存在と、子ども達、家族に感謝。
今日も最後までおつきあいありがとうございました。
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by miroku-ai | 2007-11-12 23:35 | プラスα

12人の怒れる男

一番好きな映画は何ですか?
人生で始めて感動した映画を覚えていますか?

私は、両方ともオリジナルの「12人の怒れる男(1957年)」と答える。
モノクロのヘンリーフォンダの出ていたのほう。
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これを観たのは確か12歳くらいの時。
NHKがやっていたのを父と観たのを鮮明に覚えている。
父が勧めたのか、偶然観たのかは記憶にないが、
感動を夢中で父に語り、父が満足そうにうなずいていたことを覚えている。

今日は子どもとリメイク版「12人の怒れる男ー評決の行方(1997年)」を観た。
ヘンリーフォンダの役をジャック・レモンが演じている。

たぶん、どの人がみてもいい映画という映画だろう。
この映画には民主主義とはなにか、多数決主義の危うさ、
疑わしきは罰せずということなど、たくさんのテーマがある。

もちろん、日本にも陪審員制度が導入されるので、その点からも観ておくべき
かも知れないが、それよりなによりこの映画の精神性の高さに酔いしれた。

12人の陪審員が一人のスラム街出身の少年の父親殺しの容疑について
有罪か無罪かを一室でひたすら議論し続ける作品。
誰がみても有罪である、という法廷のシーンからはじまる。
11人の有罪評、そして一人異をとなえるジャックレモン演ずる建築家。
建築家は、少年が無罪であると言っているのではない。
有罪とするには、なにか腑に落ちないと言っているのである。
腑に落ちない・・・身体のどこかに違和感を覚えるってことじゃないか。

私達は、マスメディアをはじめ、社会がら発せられる「正しい説明」
に麻痺しながら生活している。つまり、自分で考えているようでいて、
まったく考えていないってことが多いものだ。

11人の陪審員のなかには「正義」をふりまわす人が何人かいる。
しかし、正義か悪かというものを対決させる作品ではない。

陪審員一人一人のなかにある『偏見』と己のたたかいを描いているのだ。
リメイク版はオリジナルでいなかった黒人が二人、イスラム系アメリカ人が加えられている。
見ず知らず同志で対話するうちに、苦渋しながら個々にもっている己の偏見に気づく。

圧巻は、有罪を主張して最後一人になった男がブレイクダウンするシーン。
厳しく育てたが、去っていった自分の息子と被告の少年とを重ねていたのだ。
物事に自分と自分の問題を投影してしまう・・・この感情的で強圧的な男性のありかたは
まさに自分の勝手な色眼鏡で世界をみている私達のありかたそのものだ。
  *名悪役ジョージ・C・スコット にぐっとくるねえ〜

外から促されて主張を覆すのではなく、自らの偏見を認め意見をかえていく。
陪審員全員が、自分の意見(評決)が自らの偏見が原因となっていることに気付く。
他者によって自分に目覚める瞬間。苦しく、痛い作業なのに、なんと清々しいのか。

ロジックとレトリックは西洋文化の醍醐味だよね(ひがみではない)。
日本語吹き替え版ビデオだったから、英語版も観てみたいな。
日本のディベートは感情論に始終しているし、思考の訓練に
是非西洋のロジックとレトリックは学ぶべきだと感じた。

話をもどそう。上の子は前に日本版もみたらしいし(おもしろおかしくつくってあるそうだ)
もちろん今回の映画も楽しめていただろうが、始まってすぐに11歳の息子は、
「もしかして一つの部屋しか出てこない?この叔父さん達だけしか出てこないの?
おもしろくなさそう」と言っていたのに、途中から「おもしろい!!!」。
(今時の映画と違うテイスト初体験)

「すごいね、だって1人対11人で戦いはじめたおじさんかっこいい。
それでも意見をかえないのが、すごい。そして11人皆をかえるってすごい」
と興奮していた。息子の「すごい」は、善きものにむかう姿勢に共感したのだろう。
人間の意志の力、勇気とはなんだろう、と考えるよい題材になったのではないか。

作品のなかのクローズアップされるところは人によってちがう。
不思議なのは12歳の私が感じていたことが、
大人になった今もあまり違わないことである。ふうむ・・・

実際、私と同じくらい年齢でこの作品をみた息子がどう考えているか
は本人にしかわからない。その時の自分がどう受け取ったか、
を大人になって再度鑑賞し、認識し直す作業は楽しい。
うちの子ども達自身が、どんなふうに変容させていくかも楽しみだ。
名画を、クラッシックムービーを子どもと観る・・・いいぞ、これ。
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by miroku-ai | 2007-11-10 23:50

ウソとモラル

水曜日夕刊が楽しみである。
弁護士の井垣康弘のこのコラムは何度も繰り返し読む。

今回は「上手なうそ」というタイトル。
少年裁判の席で少年の進路が話題になることが結構多いという。
その少年の中に警察官・家裁調査官・弁護士志望もいる。
「今回の非行や処分を内緒にしていて構わないか?」と聞かれるという。
そこで、「親と相談して上手にうそをつきなさい」と井垣氏は送り出す。

少年だから、匿名で報道されるが、そういう職業を目指していても
なんら問題がない、という。絶対に世間に漏れることがないと送り出す。
少年達の更正を切望する、と静かに氏の文章が流れている。

井垣氏も若いときに無免許運転で捕まり家裁に呼び出しをくらった経験があるという。
その「負の部分の経験」が思わぬ所で役に立ったという。

そのあと医大志望の少年が受験に遅刻しそうになり自転車を盗み送致された話が続く。
「医者になることに差し障らないのか」と心配な親。
もちろん大丈夫なようにきめ細やかに配慮したとしめくくってある。

   *****   *****   *****

医者、裁判官、警察官・・・「法」の領域に関わる職種。
法とは、人間を縛るものではない、自由にするものである。

「私は罪を犯したことがない」と明言する人を信用できるのだろうか?
「私は罪深い」とゆるしを乞う人間は他人をゆるすことができるだろう。

「善良な市民を騙すなんて許せない」
と声高にいうときの人間が一番あやういんじゃないの。

   *****   *****   *****

嘘をついてよく叱られた子どもだった。
なぜ嘘をつくのかと問いつめられてもわからない。
大人達(大家族だったので)に説教され、何度も言われた
「一度なくした信用は取り戻したくても出来ない」という言葉が突き刺さったままだった。

自分は本当に駄目人間なんだ・・・的に感じていたように思う。
「それでもお前を信じている」という言葉を待っていた子どもだったのかもしれない。

もっと大きくなって、ある事件をきっかけに、
もう二度と「不正」をおかさないと心に誓ったことがある。
それは、「自分も同じことをしたことがある」と父親がぽつっと話してくれたから。

本来子どもたちは、良いことと悪いことがわからない。
外から与えられたモラルではなく、自分の中にあるモラルに照らし合わせないといけない。

その作業は子ども一人ではできない。
思春期の揺れる内面。
誰か大人が自分の経験を語ってやることが大切とシュタイナー教育でいわれてる。
ホメオパシーの似たものが似たものを癒すということかもしれない。


「いけないことをしちゃだめだ」と杓子定規で言うのでははなく
「いけないことをしてしまう人間の痛み」を知っている大人でありたい。
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by miroku-ai | 2007-11-01 17:25 | プラスα

魂の保護を求めるこどもたち

治療教育の講座にいってきました。その報告の前にすこし。

人智学活動の根幹を支えるところに治療教育があります。
もともとシュタイナー教育というものがあったわけではなく
シュタイナーが若い頃家庭教師をしていた子どもが水頭症の子どもであり
その子どもに最高の教育を考えて実践した、というところが出発だった。

初めてのヴァルドルフ学校も労働者の子弟の為につくられたらしい。
シュタイナー教育は、いわゆる社会の弱者の子ども達がはじまりだったこと
が、注目すべき点です。シュタイナーは全ての人は発展途上で、治療教育が
必要なんだ、といっています(と記憶しています、あいまいでごめんなさい)

    ***     ***     ***

で・・・今日の講座にはいろいろ考えさせられました。
今シュタイナー教育は世界でかなり認知されつつありますが
戦後ドイツで人智学的治療教育を行っていた方がこの基盤を築かれた
ということを聴き、驚くと共に、深く納得したのでした。

シュタイナー教育とは、治療教育とは、といったことではなくそれを行った人間の在り方が、
普通の世の中の人のその根底に流れている「人智学」ってもしかして(?)すごくいいかも
しんない、って思わせた、というか人をうならせたのです。
「人を通してその背景にある本質を認識する」・・・芸術活動といわれるところです。

ハンディーのある子ども達は、誰かに支えて助けてもらわないと生きていけない。
シュタイナーは「精神は病まない」と言います。
これは、「身体(身体)/魂(心)/霊(精神または自我)」の三分説でいう、
霊(精神または自我)はどの人も病気になったり傷つけたりできない、
ただ、現世で生きている限りで言うと、霊を映し出す鏡が魂であるので
魂(つまり心)の領域がなんらかの形で欠損があると
魂が霊をうまく映し出せないということなんです
。(詳しくは神智学等参照)

いわゆる健常者は、自由に自分の魂を表現できる。
何でも言える、何処かに行きたければ行くことが出来る。
しかし、ハンディーのある人は「自由がなんらかの形で抑えつけられている」
だから、誰かが彼らを支え、不自由な彼らのかわりにすること、考えること、それら全てが
「死後神々が行うことを我々がかわりにおこなう」ということとなり、
治療教育に関わることは「神々の仕事に関わること」だそうです。

そうして、「胃痛の時胃について意識する」のとおなじように
「自由の少ない子ども達」と生き、関わることは「意識化」することだそうです。
もちろん「人間」のことです。「霊の目的」つまりは生きる目的です。

こうしてみてみると、治療とは、特別に養護が必要な人ではなく
私達もみんな「支え」と「不自由さの解放」が必要である。そして
そのような人を通して、その人に関わる人はそれを意識し、意識することを
し続けることで、その奧に在る「本質」に気づくことができるってことがわかると思います。

シュタイナーは子どものことを「平等魂」とよんでいたそうです(ほ〜)
私達が成長するにつれて不満、不服がでてきます。
しかし生涯にわたって「平等魂」をもっているのがハンディーを持った子どもだそうです。

    ***     ***     ***

もっといろいろ書きたいのですが、最も私を揺さぶったところを書きました。
拙い文章でうまく伝わっているかしら?(私なりの言葉にしたり、解説をいれましたが)

ちょうど、今週、ハンディを持った子どもさんの親御さんと話す機会があり
厚かましくも、以上のようなメッセージを私自身で感じており、それをお伝えする
機会が今週は二回もありました。なんだか偶然の必然性というのでしょうか。

彼らの家族も本人も大変だなあ、と思うことは、とても方手落ちな見方と思うのです。
「魂の保護を必要とする子ども」を通して、私達はいろんな経験をさせて頂いています。
そして、より深く、人間とはなにか、魂とはなにか、を考えさせられるのです。
いわゆる健常児と関わるよりも、「魂の保護を必要とする子ども」達と
関わっているときのほうが、より強く
「あなた達の魂はなにを表現しているの?生まれてきた目的はなんなの?」
と問いかけている自分に気がつきます。
そして、その事自体が、アントロポゾフィーであると、気づかされるのです。

シュタイナーの洞察の深さにはいつも感嘆するのです。

    ***     ***     ***

関西で、治療教育を実践しようとしている団体がいます。
「ともに生きる Being Together」
活動ははじまったばかりで、まだまだ小さなうねりです。
大きなうねりとなっていきますように。
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今回の講師は、
『宝石と四季のお祭り シュタイナー鉱物論入門』
の著者なんです。石好きなんですって。
(シュタイナーも)
来月から二年間ドイツに行かれるそうです。
キリスト者共同体の司祭をされていますが、
共同体からドイツに赴任指令(笑)
がでたみたいですね〜「転勤」みたいなもんでしょうか(^^;)
どうかお元気で、また日本に帰ってこられたら
パワフルなお話をまたお聞きしたいものです。


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今回参考にされていた書籍はルドルフ シュタイナー 著:高橋 巌 翻訳「治療教育講義」
です。さっそく読んでみようと思ってます。



人智学の観点からの治療教育のおすすめは
トーマス・J・ヴァイス 著:高橋明男 訳
「魂の保護を求める子どもたち」
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by miroku-ai | 2007-10-20 23:50 | シュタイナー

想像力

夕飯の支度の時の出来事です。

次女「おう!白髪ネギ!大好き」
などと言いながらつまみ食い(っていうのも変わっている気もする)
次女「なあなあ、白髪ネギってどこで売ってるん?」
私「えっ・・・!(言葉にならない)」
  へえー知らないんだ・・・・(軽いショックの母)もやしの仲間とか思ってる?
私 「家で作るの!ネギを縦に切ってさらすだけですけど」

そして夕飯。(今日は鰯の葛衣の揚げ物;ネギとレタス添え)
次女「白髪ネギってどうやって作るん?」←まだわかっていない人(^^;)
私「ネギを繊維にそって縦に切って水で曝す」
次女「なんで?ネギって言うても、白いとこってないやんか」
私「だから、青ネギでなくて白ネギで」
次女「???」
私「ネギには二種類あるの。味噌汁とかには青ネギで、鍋とかには白ネギ使うやん」
次女「???」
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そうです、次女は関西人だからかなんなのか知りませんが、
ネギというと「青ネギ」しか思いつかない人でした。
もういいかげん説明にあきたので(^^;)
実物にご登場いただきました。
次女「なーんや」
まったく、百聞は一見にしかずでございます。
次女「鴨が葱を背負ってくるとかいう諺の野菜やろ?」
私「うん(おっ、いいこと知ってるヤン)」
次女「で、その諺はどういう意味なん?」
私「・・・ガクッ(再度絶句)」

現代っ子は、以外なことを知らないなあって、毎日思いますけど
知らないってことの大半は想像力が欠けているのだろうなあ。
無邪気っていうか、ちょっとニヤっとしてしまう出来事でしたが。
私は食べ物に関しては、「これは何だろう?どうやって作るのか」
ばっかり考えてますけど〜(爆)

語彙の貧弱さは、文化知識の脆弱さとちがうやろうか。
意識していても、次世代には伝わらないものがありすぎて、時々オロロ〜ンです。
きっと、昔の若者だった私も両親にそう思われていたのでしょうけれど。
しょうがなくても文化がなくなると、豊かな言葉がなくなるんです・・・涙

とにかく、好奇心と想像力をもった大人になってほしいもんだ。

次女とやりとりしていて、昔のことを思い出しました。

長女が二才くらいの時、なんのご飯にしましょうか、って話をしていました。
長女「ペケのおっかな(お魚)が食べたいナー」
私「ペケのお魚??」
長女「お腹にね〜ペケの模様のある“おっかな”よう」←オサカナと言えない
私「・・・あ!メイタガレイね。くくくっ」(爆笑している母)

そのころの長女のお気に入りはメイタガレイの煮付けでした。
長女の想像では、海にはペケの模様のお魚が泳いでいる、でした。
かっわいい〜
最近はそんなほのぼのな話題はとんとありませんけど、白髪ネギで思い出したのでした。

                         写真は「お魚よもやま情報」d0090637_22211360.jpg

そういえば、最近煮魚してないな〜
明日のおかずにしようかな!
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by miroku-ai | 2007-10-11 22:12 | α食い倒れ

僕のまわりは美しい

三連休はなんやかんやと忙しかった。
連休中日は、長男クラスののレクレーションへ。
軽く山登りしたり、ドッチボールしたりと久しぶりにアウトドア満喫。

長男のクラスはノリがよく、親子みんなで仲良しで、いいのだ〜
この日は、親子ドッチボール対決をして大ハッスル(死語!)
(お父さんもお母さんもかなり本気だった)

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by miroku-ai | 2007-09-25 00:00

心の闇

京都の16歳の少女が斧で父親を殺害したという事件が世間を震え上がらせている。

それで、新聞コラムは昨日も今日も少年少女の事件を取り上げていた。
昨日のテーマは「心の闇」

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by miroku-ai | 2007-09-19 22:38 | プラスα

アッ!コナイトマンガ

「うちの3姉妹~マンガで見る今日の出来事~」を知ってますか?
マンガ家の松本ぷりっつさんの三人のお嬢さんの成長をマンガにしてあって
すごく好きなのです。おもしろいツボがくどくなくて それでいて笑えて、好きなんだ〜。

長女とエレベーターをみて「アッ!」。
だって、まるっきし Aconiteアコナイト状態です。

恐怖、ショック、パニック。
突然襲ってくる恐れ、。急に起こる不安感。
落ち着きのなさ、震えおののくような状態(ムンクの叫び状態)

続きはクリック
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by miroku-ai | 2007-07-04 16:23 | ホメオパシー入門編