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環境

連休中大型台風4号そして新潟県中越沖地震大きな自然災害が起こった。
被災地の方に、心よりお見舞い申し上げます。

TVで新潟の地震を知り大きさに恐れを抱いた記憶も新しいその日の
昼間に私の住んでいる奈良県が震源地の地震を経験した。



いっぺんにくる天災。
改めて、自然とは、環境とはなんだろうか?と考えた。
今回、このことを考えた人は少なくないはずだ。

最近はラジオ、TV、ネットなんかで、なんでも実況中継で情報が得る事が可能だ。
台風なんて、予測、までできちゃったりするご時世。
「TVやネットを見ていない人はどうやって地震を知るんだろう」
と地震速報を見ていた夫が、画面にむかってつぶやく。

そりゃ、親戚とかが電話かけてきたり、誰かと立ち話したときに知るんじゃない、
と私は答えたけど。・・・そうなんだよ。夫もなんだか考え込んでいた。
情報は、機械から自動的に発せられるものが情報じゃない。
人が発信しているんだよ。

今は技術が進歩したから、災害はコントロールできているって、錯覚してる。
そう、錯覚。自然環境はコントロールできないってば。
昔の人は、あらがいようもないものには、むやみやたらと抵抗しなかった。
じい・・・と待っていただけだった。
同じく、人の心もコントロールできないもんだ。錯覚だってば。
しようとするから、問題がおきる。

地球の裏側で起こっていることも瞬時にわかるこの時代。
「情報力」という「力」が求められる。
「力」・・・。「情報」の収集やその分析の「力」、それを活かして・・・????
なんだか、それって空しすぎる。
上滑りな「情報」を集める「力」だけ強化して、そもそも「その背景」にある
「力」つまり「エネルギー」を読み取る「力」は衰えているぞ。

何かに「力」がつくとき、そのものの「力」は現代人はかなり失っているって思っていい。
「学力」「親力」「鈍感力」・・・「目力(メヂカラ)」「女子力」・・・etc。

なにか災害が起こるとき、自分が知覚できるものはすべて
外のことではなく、「自分の環境」であるのだから、自分の内側のことなんだって、
思う。環境は自分自身であるからね。

本当は、自分の住んでいる家、近所の風景、地域の雰囲気
気に入らないって、ぼやく人もいるけど。
これって、本当は、イヤなら、絶対かえることは出来る。
出ていくこともできるのに、そこに文句言いながら住んでいる。

環境を変えることはすぐ簡単には出来ないけど、
環境を選択することはわりと簡単に出来るんじゃないかな。
環境を選ぶのは、私たちの自由意志。

また話をもどして。
地球温暖化。地球環境劣悪、資源枯渇、食糧危機・・・
テロ、戦争・・・耳にするニュースは気が滅入るものばかり。
日本でいうと、年金問題、政治腐敗、教育不振?などかいな。
もう八方ふさがりだよ。
そこに今週の連続した自然災害。同じ場所に起こった大きな地震。
そこには原発もあったよね。こんな偶然ってあるのか。
これって一体なんなんだよ。オイオイ、そこの私自身に聞いているのだ。

悲観的になるのもヨシ。
刹那的に生きるのもヨシ。

でも、もう、ここまできていたら・・・物質至上主義思考はもう・・・

環境ってなんなのさ、って考えようよ。

私達って本当に豊かなのかな。本当に幸せなのか。

私ってば・・・今この時だからこそ精神活動に目覚める覚悟をせなあかんよ。てさ。
闇に光る蝋燭の光りのような希望を持って。
by miroku-ai | 2007-07-19 03:34 | プラスα


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