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『僕らの前に道はない 僕らの後ろに道は出来る』

この日曜日に、我が家の子ども二人が通う学校の
第一回目の高等部の卒業式が行われました。

子ども達の学校は1年生から12年生までの子ども達が一つの校舎で学びます。
一般の日本の教育でいうと、小学校1年生から高校3年生までの子ども達にあたります。

第一期生の彼らは、ひと言ーすんばらしいー。

開校当時、中学生だった彼らは、「山の物とも海の物ともわからん」ようなフリースクール
(認可されず、学校法人じゃない)に公立学校から転校して(半分させられて?)通い、
校舎も狭く、当時は今ある教室を二学年で半分に仕切って使っていました。
鞄をおくロッカーもなく、机も廃品同様のものだったり、物質面でも超プアー(笑)
(でも、全て手作り&自然素材だったりして、超贅沢〜とも言えるのだけど・・・)

そんな過酷な状態で、なにをやるにも、学校初、日本初のことばかり。
思春期まっただ中のビミョウな年齢の彼らにとまどい、葛藤がなかった筈はありません。
最終的に最高学年を終えた彼らをみると、あたしゃ、涙がでます。

卒業式のある週の半ばには、卒業プロジェクトといって、
各自が、自分の興味のあるなにかをホールでプレゼンします。
(それで卒業できるか審議されるの。審査員もいるんだぞ)
例えば、彫塑、詩、演劇、家具作り、語学、マンガ、など。
ユニークどころではオリジナルカードゲームや、平安時代の生活を体験したものの発表とか。
もう、本当は全部書きたいくらい、ユニークで、濃厚な時間を共有させていただきました。

そのプレゼンのなかで、なぜテーマを選んだのかなどの説明はもちろんありますが
その発表に至るまでの過程を各々語るのですが、もう、それが壮絶(大げさでなくってさあ)
1年半かけて(今回初めて知った)、自分とまっこうから向きあって、
何度も挫折や、しらけ〜ムード、焦りと闘いその発表の瞬をむかえる・・・

私が18才のころには考えつかなかったものを、彼らはしっかりと考えていた。
(っつうか・・・・おばさんになって目覚めたのだった、私。ほんの最近のことじゃ)
彼らが、自分と向き合い、自分と対話し、色んな「師」にささえられて、見つけたもの。
人生でくじけそうになっても、その「瞬」を知っているから、再び歩き続けられる。
一人ひとりの言葉を聞いていて、自分達より、大人だなと。魂が大きいちゅうか。

卒業式自体は私は出席していませんが、来賓であの「こ○す」さんや「は○」さんがいらした
そうで、彼らの一人ひとりのスピーチを聞いて絶賛されたと、ききました。

どの学年にもカラーがあって、この卒業生の得意とするのは「パフォーマンス」
特に演劇、音楽、(あと、お笑い!)が得意で、卒業式の後、見送る子どもや親や先生
の前で音楽演奏と一人ひとりのスピーチをきかせてもらいましたが、感動した!!!(笑)

一昔前、文部省かなんかのキャッチフレーズ?で「生きる力」を育てよう、ってあったけど
なんだかこれにはピンとこなかったけど、彼らは「生きる力」に満たされている。
学歴、偏差値、他人や世間の評価ではない、ところの「自信」が育ったなあ、と。
もう君たちは外に「自分探し」しにいかなくても、ちゃんと自分を感じているね。
18才のころの自分と比べて、ちょっぴり、うらやましくなった。

最後に、校庭で、送る人達のトンネルをくぐって拍手のなか去っていった。
彼ら、どの人にも目をみて挨拶するんだ。話をしながら、何度も涙ぐんじゃった。
なごりを惜しむ人達が再度ならぶので(!)列はどんどんのびる一方(おいおい)

そんな増殖する?列をみて、ふと思い出したフレーズ。
昨年夏に全国何カ所かまわった「卒業演劇」公演。自作のチラシに書かれていた、
「僕らの前に道はない 僕らの後ろに道は出来る」
ほんま、君ら、パイオニアだよ。 おめでとう。誇りにおもいます。
# by miroku-ai | 2007-03-27 23:23 | シュタイナー

誕生日

今日はわたくし、誕生日でしたの。
え、いくつかって・・?ほほほ。二回目の成人式を迎えることができましてよ。

朝 長女からプレゼントをもらいました(連名で長男も)
子猫のかわいいカードと籐のカトラリーケースと砂時計。
誕生日_d0090637_22524865.jpg
木のカトラリーケースが割れていていつも買い忘れているのを覚えていてくれた。
それと砂時計。常にアバウトな私を見かねてか?
たとえば、圧力鍋でごはんを炊くのですが、
3分の圧力とか(時間を)適当にやっちゃう。
「これで、パスタもきっちり時間はかれるやろ」やて。・・・それでも、アナログな私を気遣ってか超アナログの砂時計か〜
ぐっとくるね。でも、この砂時計、おもしろい。
写真じゃわかりにくいけど、左の黄色が一分計、真ん中白色が3分計、右の緑が5分計。
みんな一斉にしかひっくりかえらないのです。
4分をはかるには、白時計で3分計って、再度ひっくり返して黄色時計で1分。
料理しながら賢くなれそう。

昼ごはんは、近所の友人がお手製のピザを焼いてくれ、しかも
午後からホメオパシーの勉強会なので子ども達をあずかってくれまして。

ホメオパシーの勉強会でも、プレゼントをいただきました。
手作りのランタンです。(蠟と水風船を使うんだって)家で点火してみました。綺麗。
誕生日_d0090637_23183351.jpg
仙太郎の姥玉(このまんじゅうがレメディーのペヨーテに似てるかもっていうことで(^_-))や勉強会仲間がケーキを用意してくれてました。
志を同じくする仲間がいて、暖かい心遣いがあって・・・

はあ・・・なんて幸せな誕生日でしょう。
最近の誕生日のなかでは最高の誕生日でした。
幸先のよい新たな十年になりそうです。
人生の折り返し地点、いい具合にターンできました(*^_^*)

今日は家族の帰りが遅いので、家ごはんでしたけど、ダーリンはケーキを、次女は「なんや、お母さん、今日誕生日なん!まじ」やて。あーあ。

みんな、ほんとうにありがとう。
# by miroku-ai | 2007-03-20 23:25 | プラスα

蒙古ひだ

今日は我が家のルーツは?です。

蒙古ひだってしってますか?
先日ホメオパシーの解剖生理学の授業があり、最近よく人体に関するもの読むなかで
「蒙古ひだ」なるものを知りました。これって知ってましたか?私はしりませんでした。
(最近人をみると筋肉とか皮膚とかばっかみちゃう〜わかる人にはわかる話題でm(_ _)m)

調べてみたら目頭切開という美容整形があって、
蒙古ひだは、蒙古人種(モンゴリアン)の特徴で、目頭の所に上瞼の皮膚が被さってます。
目頭の赤いところは見えないつくりになっていて、目が小さく見えたり、
目が離れた印象でみえるらしいですね。
目頭切開したら、目の横径が広がりより立体的な顔になるそうだ(でも手術、怖〜!)

日本人のルーツのひとつにモンゴリアンがあります。
寒冷地域に適合したモンゴリアンは体質の特徴として、
フラットな顔立ち、一重まぶたと言われる蒙古ひだ、体毛、特に男性のひげの少なさ、
耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、アポクリン汗腺が少ないこと等。
凹凸の少ない顔面では、体温熱を放散する面積も少ないので寒冷適応の痕跡。
蒙古ひだは極寒の環境から瞳を守る。(涙腺をひだで保護かな?)
ひげが少ないのは皮膚呼吸により凍傷の原因となるためだそうな。

今日のモンゴロイドにおいても、出生児のほとんどに蒙古斑や、蒙古ひだがあるんだって。
しかし、なんで蒙古斑はあるのだろう?寒さとどう関係するんじゃい??

確かに濃い顔の人って体毛多いしはっきり二重瞼だし体臭もきつそう?;`;:゙;`ヽ(゚∀゚ゞ)

んで、我が家のメンバーをしらべましたら
長女も次女も長男も蒙古“ひだ”あった。
なんと私とダーリンはほとんどない!!!OH〜以外。
ぱっちり(というか目が大き過ぎ)の長女はダーリンに似ているのに“ひだ”あり。
次女と長男も目は細くない(わりに濃い顔系なのに)のに“ひだ”があるの。
蒙古ひだ_d0090637_0521456.jpg
でもね、我が家の法則発見しました。
“ひだ”ありの子ども達→つり目。
“ひだ”なしの私達親→たれ目。

                           
                          このお方はきっとモンゴリアン?!
一概に濃い顔+二重瞼でも、ひだがあるのかないのかで
それぞれはっきり系の目といっても印象がちがうのですね。
薄い系の顔で一重でもしかりです。
蒙古ひだ_d0090637_0452978.jpg
                         彼もそう?!

我が家はいろんな民族がまじっているのがよく(表面に)現れた家族なんだろうか。アメリカに住んでいる時はわてら夫婦は日本人に見えなかったみたいで(汗)日本人に英語で話しかけられたことあり(別の意味で?=貧乏くさい?)


でもね、ココを読むと、むやみやたらと手術しないほうがいいみたい。
“ひだ”があることで、クマやシワができにくいみたい。
そういや、欧米人とかホリの深い人は若い時から「お疲れ顔」してますね〜
日本人が若くみえるのもココんとこにあるかもしんない。

ブログをお読みになった方は、家族やお友達の目を観察してみてください。
ルーツはどこなんだろ〜とロマンに話がはずみますよ、いひ。
# by miroku-ai | 2007-03-18 00:37 | プラスα

残された時間・・・卒業

公立中学校に通っている次女が学校からもらってくる手紙(保護者宛の)
のなかでとても楽しみにしているものがあります。
それは、スクールカウンセラーの便りです。内容をかいつまむと・・・
  そのセンセの話の記事はこことかここです。(隠れファンなの)

カウンセリングの仕事はある一定の時間内で行われます。(普通は50分)
で、カウンセリング終了の10分前や5分前に、唐突に大事なことを話し始めるがいます。
なぜカウンセリングに時間制限があるのか?という理由の一つでもあるそうです。

時間がないため、まとまりのない話だけれど、その分その人の思いのこもった言葉に
なるそうです。でもこの5分かそこらのことがカウンセリングを進展させるということです。

もはやなにかをするための自由な時間はないが、何かにせき立てられて、話したいことを話す。時間がなくなってからでないと話せなかった・・・
まるで、テスト3日前になって追いつめられて勉強するように。

これをよんで、あっとおもいました。
ホメオパシーのセッションでも最後に「何か他にお話ししたいことはありますか?」
とききます。ホメオパス側から「そろそろ終わります」の合図となりますが
これを皮切りに、延々と話される患者さんがいるそうです。
じつは、ここからが正念場になる患者さんもいますよ。
(ホメオパシーセッションは初診で2,3時間たっぷりとってありますけど)

カウンセリングにせよ、ホメオパシーセッションにせよ、
患者さんは、何かに困って、相談されに訪問してきます。
にもかかわらず、黙っている人、隠す人がいるのです。
なぜでしょう?それは顕在意識がブロックしているのです。
潜在意識の「ワタシ」は病気の状態を一刻もはやく解放したいのに
もっと浅い「ワタシ」が邪魔をする。向きあうのが怖いのです。
ある意味、人間は「病気のままでいたい」願望がある、ということです。

でも、カウンセリングの5分前のように、せっぱ詰まってくると、
追いつめられることにより、自分の気持ちに気がつくことが多いと
スクールカウンセラーの便りにかかれていました。

そして中学を卒業する生徒はまさに「中学生活で残された時間はカウンセリング終了5分前」
なんだと。なにかこれにピンときた人は、その気持ちを大切に、と締めくくられていました。

ワタシ、中三じゃないですケド(笑)ピンときた人です
ホメオパシーの学校、残すところ半年です。
いろいろ、至らないところが多くて、冷や汗ものです。

今、向きあって、全うさせないといけない問題があります。
ここで、避けてとおることもできます。
でもきっと、そうすると、次のステージでも同じ問題がやってきます。

ふう・・・そろそろ5分前だわ。
# by miroku-ai | 2007-03-13 23:07 | ホメオパシー

池田晶子様

前略ごめんくださいませ。初めてお手紙差し上げます。

さて今朝、一面コラムをみて絶句いたしました。2月の23日に旅立たれたと。
腎臓癌だったと知りました。以前「自分にも癌がみつかった」と、
なんだか楽しげに書かれていましたが、46才とは。まだお若いです。
「は?なにそれ」ってシニカルに笑われるでしょう。
そうでした。若いも老けるもないのでした。
「私は年齢である」そう「年齢にふさわしい精神」をもっていたならば。

物事を突き詰めて考えること。
知っていることと、わかることの違い。
自分が「知らないこと」を自分で知っておくこと。
わかる力は愛である。真の力は知である。
あたりまえのこととは、私であること、生きて死ぬこと。
そして、存在とは、善と悪とは・・・
貴女は考えたことを分かり易い言葉で表現されていましたね。

いつも数え切れない思索のあざやかさに感嘆していました。
歯に衣をきせず ずばっと断ち斬るような文章(カゲキ!)で爽快でした。

最近は、思春期の子どもにむけた文章も出されていて、
実は、「14歳からの哲学」は私がはじめて購入した貴女の本です。
そして、長女の14才の誕生日に贈りました。
この春次女の14才の誕生日がやってきますが、よいタイミングで
「14歳の君へ」が刊行され、次女のプレゼントに、と購入したばかりでした。
実は、あたりまえのことがわかっていない私には、
これらの本がちょうどよかったのです。残念ながらすべてはわかっていません。

貴女はしょっちゅう、ご自身のことを「いのち根性がない」と表現されていましたし、
なんで葬式でみんなが泣いているのかわからない。笑いをこらえるのに精一杯。
「無」なんてものは「無い」のに「無」であるところの死を恐れるとは?
この世に生きている人はみんな死んだことが誰ひとりとしていないのだから
「わからない」ことは恐れることができない、と。どうして死んだ本人が悲しめようか、と。
「肉体の死」を経験された貴女は今も、きっとゲラゲラ笑いながら、
「生きようが死のうが、存在することしかやっぱりできない」とか仰っているでしょう。

最後に泣き言を。
いつか、「週間新潮」を毎週買って、ビール片手に至福の時を過ごす老後をひそかに
楽しみにしておりましたのに、至極残念。 今から池田文庫でもつくろうかしらん。

今、ここに存在する「私」のフシギをこれからも考え続けてまいります。
遅ればせながら、貴女を私淑して精進してまいります。
あ、だいじょうぶです、信者にはならないように気をつけます。
自分の頭で考える、それが哲学でしたね。
形而上の貴女に愛と感謝をこめて。

                                    かしこ
平成17年3月6日

                                ねいろ
# by miroku-ai | 2007-03-06 12:08 | プラスαな本